決壊


決壊(平野啓一郎/新潮社)

すごい小説だった。
リアリティーのある、文章力と表現力。
そして、この物語の主人公(と思われる)沢野崇という人物のキャラクター。
この沢野崇が、なんとも気になる存在で、最初の部分はその正体がわからないまま、少しずつ内面が明らかになりながら、話しが進んでいく。
上巻の中盤あたりから、タイトル通りに平穏な日常が「決壊」した後は怒涛の展開となり、「真犯人は一体誰なのか?」といったミステリー的要素もかなり入ってきて、そこからはもう、先が気になってどうしようもなくなる。

沢野崇も、とても印象的なキャラクターだったのだけれど、もうひとり、北崎友哉という中学生には、心底、恐ろしさを感じさせられた。
自分のことを振り返って考えても、中学生の時分というのは、愚かしいことをあれこれと思いつき、しかも、経験が不足しているために思考の欠陥に気がつくことがないのだけれど、それでも、その愚かさのすべてが表面化することがないのは、思いつきを実行するだけの能力が中学生にはないからだ。
しかし、インターネットは、人の能力を飛躍的に増幅させる。
ネットの世界にアクセスするのに、何の資格も年齢制限もなく、ちょっとした知識だけがあればいいわけで、道徳心が育つ前の子供が、ネットの力を利用した時、ひと昔前では考えられなかったような恐ろしい出来事につながる可能性があるのだと思う。

現実に起こった、9.11テロや神戸の「少年A」の事件から、かなり色濃くインスピレーションを受けているのがわかるけれども、やはり、インパクトとしては、実際に起こった出来事のほうが遥かに大きい。
これほどに緻密に描写された物語でもそうなのだから、つくづく、現実というのは、あらゆるフィクションを凌駕するものだと思う。

【名言】
「・・やっぱり、ただ年齢が積み重なっていくだけだと、正直あんまり自分が歳取ったことを実感出来んけど、立場が変わるとね。会社に入った時もそうやったけど、親になってみると、また物の見方が変わってくるね。」(上巻p.33)

「死刑か、あるいは戦争か。問題は、ただ一つ。殺人が、自分の身に起こるかどうか、だ。これが、平和というものの欺瞞的な正体だ!平和が平和として感じられるためには、平和でない現実こそが不可欠となる。染みをどこにつけるか?どこか遠くの、自分たちとは何の関係もない場所で殺人が起こるならば、それは素晴らしく理想的だ!WTCが倒壊した日の翌日、それをテレビでイヤというほど目撃したはずの世界中の平和は、焼いて食べればさぞかし美味かろうというくらい、ぷりんぷりんに肥満していたよ。艷やかで、ヨダレが出そうなほどに脂が乗っていて、少々卑猥なピンク色をしてね。殺戮はむしろ歓迎されている。そこにいて身に危険が及ばない限り。人間は相変わらず愚かだ。しかし、だからこそ、今ここにある平和は、人間的な意味で尊い。これが、本音だ。」(上巻p.330)

「人間は、決して完結しない、輪郭のほどけた情報の束だよ。生きている以上、常に俺の情報は増え続けるし、色んな場所、色んな時間に偏在する俺という人間の情報を、すべて把握するなんて、土台、出来るはずがない!しかも、入手される情報は常に偶然的で、断片的で、二次的で、おまけにその評価は十人十色だ!情報源としての俺自身と、そうした情報の寄せ集めとが完全に一致することなんて、あり得ないんだよ!・・俺はね、そのことに抵抗しなかったよ。むしろ、出来るだけ巧みに振る舞ってた。」(下巻p.171)

彼女は、自分が生まれ、育ってきた世界のことが、よく分からなくなっていた。
今、彼女の身が置かれているのは、これまで知っていて、当たり前のように慣れ親しんでいた世界とは、なにかまったく違うもののように感じられた。それとも、単にこれまでが幸せすぎたのだろうか?自分はただ、この世界のいいところだけを見て生きてきたということなのだろうか?
彼女にとって、今世界とは、最愛の人が突然惨殺されて、しかもその悲しみに必死で耐え、どうにかそれを乗り越えようとしている時に、鞭打つような非情な言葉で、更に苦しみを加えてやろうとする人たちが住むような場所だった。(下巻p.206)

「生物としてのヒトは、絶滅を回避するために、交配を通じて多様性を維持する進化のシステムを採用しているんだろう?その圧倒的に多様な個体が、それぞれに、ありとあらゆる環境の中に投げ込まれる。そうした中で、一個の犯罪が起こったとして、当人の責任なんて、どこにあるんだい?殺された人間は、せいぜいのところ、環境汚染か、システム・クラッシュの被害の産物程度にしか見なされないよ。犯罪者なんて存在しない。ただ、犯罪が存在するだけだ。」(下巻p.457)