日本の弓術


日本の弓術(オイゲンヘリゲル/岩波書店)

ページ数は少ないものの、とても内容の濃い本だった。
タイトルは「日本の弓術」という名前になっているけれども、この中で語られているのは、「弓術」というよりも、的中を重く見ずに一射一射に全精神を込める「弓道」についてだった。
この本は、弓道についての技術的な解説はまったくない。だからこの本はハウツー本ではなく、「弓道」の精神を通じて、その根底にある禅的精神・日本的精神を、日本人以外に向けて紹介している本だと言ったほうがいい。
日本人は、禅的な文化が浸透している空気の中で生活をしているので、「自分で射ようとしないで、自然に矢が射られるにまかせる」というような無意識の心境について、外国人よりは理解がしやすい素地があるだろうと思うけれど、そのために、あえてその感覚を言語化しようとは、あまり思わないだろうと思う。
その点、生粋の西洋的思考を持ったドイツ人哲学者である筆者の目からは、理解が難しいことばかりであったに違いなく、その場所から、弓道の真髄を理解するまでの過程には、ものすごく大きな気づきがあったのだと思う。
この、ヘリゲル氏が師とした阿波師範は達人の域にある人だと思うし、ヘリゲル氏自身も非常に熱心な生徒だったことが、とてもよく伝わってくる。他の師についたとしたら、ここまでの理解には達しなかっただろう。
日本の武道家と、西洋の哲学者という、両者が出会ったからこそ生まれた、そして今後二度とは生まれることがない、奇跡的な書であると思う。
【名言】
日本人は、自分でそれを説明できるかどうかは別として、禅の雰囲気、禅の精神の中で生活している。それゆえ日本人にとっては、禅と関連することはすべて、内面から、禅の本質から、明瞭に理解される。(p.17)
私は、「無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか」と尋ねた。すると先生の答えはこうである。「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠が要らなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。仏陀が射るのだと言おうか。この場合、どんな知識や口真似も、あなたにとって何の役に立とう。それよりむしろ精神を集中して、自分をまず外から内へ向け、その内をも次第に視野から失うことをお習いなさい。」(p.34)