夏草の賦 上下巻(司馬遼太郎/文藝春秋)
土佐の長宗我部元親を主人公にして、四国制覇から京への中央進出を狙って戦いに明け暮れた生涯を描いた小説。
ただ武力と知略のみを元手にして、天下への野望を持つというのは、戦国時代の大名らしい生き様だけれども、それがどのような形で表れるかというのは、その大名の性格によってだいぶ変わってくる。
長宗我部元親については、ただ、四国で名を馳せた戦国大名というぐらいのことしか知らなかったけれど、この人物も、だいぶ個性的な性格だったことがよくわかる。
勇猛よりも謀略を好んで、慎重すぎるぐらいに神経質で臆病。しかし、土佐の田舎からのし上がっていくという野望だけは、人一倍苛烈なものを持っている。
この小説のすごさは、若い日の、輝くような夢にあふれた時代の長宗我部元親と対比するように、秀吉に屈服してすべての夢が潰えた晩年の彼の姿をも詳細に描いていることだろう。
著者の司馬遼太郎は、物語の終わりのほうで、「長宗我部元親において、人間の情熱というものを考えようとした」と述べている。
たしかに、この元親の生涯を見ることで、情熱というものが、人にどういう魅力を与え、また、それが失われた時にどれほどのものを奪うのか、ということが痛々しいほどに伝わってくる。
内政に優れた能力を見せた元親が作った法律(長宗我部式目)や一領具足という制度が、数百年後の明治維新において、土佐の政治力の高さや、上士と郷士の対立につながってくるという関連も面白い。菜々という、一風変わった、美人で明るい妻の存在も、物語の世界を華やかにしている。
司馬作品の中では地味な小説だと思うけれども、戦国時代を、戦乱の中心から遠く離れた、地方の視点から眺めることが出来るという点で、新鮮で面白い作品だった。
【名言】
「おれを、腹黒いと思うだろう」
と、美濃人の閑斎にいった。武士の腹は真っ白でなければならぬが、しかし、大将はちがう。墨のような腹黒さこそ統一への最高の道徳だ、という意味のことを元親はいうのである。(上巻p.121)
「狭いのう、なあ菜々」
と、元親はまぶたをあげ、そのあたりを見まわした。
「わたくしの膝が、でございますか」
「天地がだ」
元親は青い空をみつけている。
「天地は広うございますのに」
「ちがう、おれの天地がだ。おれは鬱を晴らそうとして梅林で酒をのんでいる。この場所をみろ」
なるほど、狭い。それも城山のなかの崖っぷちであり、さざえが自分の殻の中で酒をのんでいるようで、日本国という規模からいえばこれは浅ましいほどせまい。
「おれは天下六十余州を庭にして酒をのんでみたい。武士もあきんども、国々を自由にゆききできる世をつくりたい」(上巻p.189)
「ながい歳月、ご苦労さまに存じあげ奉りまする」
「言うな」
「申しあげる言葉もございませぬ」
「おれの生涯はむだであった」
元親は、あおむけざまにころんだ。なんのための二十年であったであろう。
「死者二万」
すさまじい数である。この岡豊から身をおこして以来、元親のために死んだ者は二万前後というおびただしい数にのぼっている。かれらの骨は四国の山野でむなしく枯れ朽ちてゆくだろう。
「おれが酒に痴れ、女に痴れるようなただそれだけの男にうまれておれば」と、元親はつぶやいた。
「土佐のものは幸いだったろう。人は死なず、それほどの苦労もせずにすんだ。いささかの志を持ったがために、かれらの死屍はるいるいと野に満ちている」
「天運でございますよ」
「おれに運がなかったというのか。おれは身をおこして以来、百戦百勝した」
(しかし最後の一戦で力が尽きられた)
と菜々はおもった。小運にはめぐまれたが、ついに大運がなかったのであろう。(下巻p.132)
元親はかねて上方の文化にあこがれ、かれが土佐を手におさめるや、京から、
読書、弓馬、謡、笛、鞠、連歌、鉄砲、囲碁、
などの武芸や学芸の師匠たちをふんだんによび、一門子弟にそれをならわせた。しかし、元親自身が上方にのぼることがなかった。
(のぼるときは征服するときだ)
と、この男ははげしくそれを自分に言いきかせ、ひと目でも上方の文物をこの目でみたいという衝動に堪えてきた。
が、いまは降伏して上方へのぼる。このみじめな姿を元親はかつて夢にもおもったことがない。
「わしはな」
と、元親は低い声でいった。
「京をおさえるつもりでいた。正気で、それをおもっていた。笑うか」
「いえいえ」
藤四郎ははげしく首をふった。
「笑うな」
「め、めっそうもございませぬ」
「そのわしがいま弓をすて、軍門にくだり、その会釈をすべく上方にのぼってきた。見物をする気がおこるかどうか」
「殿様・・」
と、叫び、絶句し、藤四郎は泣きだした。志の薄い者はこの元親の悲痛さを滑稽とみてわらうであろう。しかし悲痛と滑稽のない者は英雄とはいえない、と藤四郎は泣きながら何度も心中でおもった。(下巻p.139)
「殿、お元気を出されませ」
と声を大きくして励ましたが、元親は苦笑してうなずき、
「無理さ」
と、小声でいった。もともと四国制覇が秀吉の進出によってむなしくやぶれたことが元親をして落胆させ、世を捨てたおもいにさせたのであったが、その心の傾斜が、信親の死によっていっそう大きくなったらしい。
「男は、夢のあるうちが花だな」
「左様な」
ことはございませぬ、と谷忠兵衛はなにか言おうとしたが、元親はかぶりをふり、
「その時期だけが、男であるらしい。それ以後はただの飯をくう道具さ」
といった。年少のころから激しく生きすぎただけに、それだけにいったんの頓挫で人並以上に気落ちをしてしまうのであろう。(下巻p.309)