ダウン・ツ・ヘヴン(森博嗣/中央公論新社)
この巻もまた、すごかった。
今までの巻とは違う。今までは、物語は飾りで、そこには瞬間の出来事が散文的に並べられている雰囲気だったけれど、今回は、物語がメインだ。
「スカイ・クロラ」の時点以前の、ある一時期の草薙水素にフォーカスする形で、話しは展開される。一人の登場人物にとって決定的に重要な出来事を追う形で、その成長の場面に立ち会うような気分になる。このドラマチックさは、今までにない、新しい境地だと思った。
各章の扉部分の引用は、各巻ごとに異なるのだけれど、この巻ではトルストイの「イワン・イリッチの死」からの引用になっている。「スカイ・クロラ」でのサリンジャーからの引用も、雰囲気とよくマッチしていたけれど、今回もいい味を出している。
飛行シーンの描写のキレは相変わらずなのだけれど、なんといっても、後半の市街地での空戦は特にすごい。本当に、どうしてこんなに美しい文章が作れるのかと思う。
この「スカイ・クロラ」シリーズは、今、書店に並んでいるのはほとんど文庫版だけれど、文庫化する前のハードカバーでは、すべて空の写真の表紙になっていた。
巻ごとに写真が違い、「ダウン・ツ・ヘブン」ではどんよりと鈍く光る雨雲のような空がテーマになっている。この装丁がまた、作品とピッタリと合っていて素晴らしい。ハードカバー版は、内容に加えてビジュアルの面でも、芸術品のような洗練がある。
【名言】
この戦闘機という名の飛行機には、二人は乗れない。二人いる必要がない。もう一人がいても、なんの役にも立たない。それと同じように、僕が生きていくためには、僕以外の人間は誰も役に立たない。誰かと手をつないで生きるなんてことは、絶対にない。それは、もう生きているとは別の状態といっても良いだろう。誰かとともにいるということは、生きているよりも、死んでいるのに近いのではないか。そうだ、死んだら、みんなのところへ行ける。地面に埋められて、周囲と同化して。天国だって、みんなと一緒だろう。手をつなぎ合って。わからないけれど、天国でも一人ということは、ないと思う。(p.68)
でも、そんな楽しい仕事なんてあるだろうか。給料をもらって、夕方には家路につく。電車に乗って、人混みの中を歩かなくてはならない。知らない人間がすぐ近くにいて、身体と身体が触れ合うほど接近しても、素知らぬ顔をしていなければならない。都会というのは、そういうところだ。人間たちが吐く息で、地下鉄の中はどうしようもなく濁っている。一度だけ乗ったとき、その空気が僕には耐えられなかった。酸素マスクを着けなければ、僕は生きていられないだろう。いろいろな匂いがする。匂いが多すぎるのだ。それに比べたら、今はエンジンの排気だけ。こんなシンプルなものはない。誘うように甘い匂いだけだ。(p.190)
しかし、そこで翼を左右に振った。
ティーチャだ、まちがいない。
僕もエルロンを左右に倒して、挨拶をした。
さあ、いくぞ。
踊ろう。
ダンスを!
笑いたくなるくらい楽しかった。(p.284)