わたしたちに許された特別な時間の終わり(岡田利規/新潮社)
文語ではなく、ほとんどが若者の話し言葉で埋め尽くされた文体。
内容がシンプルに伝わるように文章を整理すれば、きっとこの半分くらいの分量にシェイプアップされるのだろうけれど、それでは、この作品の味はほとんどが死んでしまう。
しゃべり言葉というのは生き物だと思う。言葉を聞いただけで、その場の雰囲気や、話し手のキャラクターが、顕著にそこに顕れてしまう。
この本の文章は、あまりに素の思考の流れに近く、見苦しくはあるけれど、その違和感も含めて、見事な表現だと思う。
アメリカが、イラク戦争に突入した時に、自分はいったい何をしていたか。あまりそのことをはっきり思い出せないぐらいに、その戦争は自分とは関係のない遠い世界でおこなわれていた出来事だったような気がする。
同じ地球の上で起こっているニュースを知ってはいるけれども、それと自分はどういう形でも具体的に関わることは出来ないという無力感を、あの戦争は多くの人々の無意識に刷り込んだはずだ。
はっきり言って、あまりストーリーや、意味というほどの内容のない話しだ。思想もなく、教訓もなく、何かを示唆しているわけでもない。しかし、これこそが、当時の日本の空気を切り取って蒸留した末の、残留物なのだろうと思った。
【名言】
確かに若く見えた。肌がそうだったのだ。でも顔はだめだった。彼女の若さは、彼女の顔をフォローするのでなしに、自分の顔の程度は何より自分が一番分かっているのだということが引き起こすあの卑屈さが行う顔への侵食を、むしろ助長していた。形も尊厳も押し潰されてしまっていて、見るに堪えなかった。(p.15)
私は彼の名前だけは絶対知りたいと思った。そうじゃないと今日の私は意味なさすぎになってしまう。そんなの、おそろしい。私は私なりに必死に、すいません、えっと、ちょっとお願いというか、ほんと別に本名とかじゃ全然なくていいんで、なんか適当な、ハンドルとかみたいなので全然可なんで、単に今、(あなた)を、私なんて呼べばいいですか?っていうのがすごくあるんです、はい、それもあって、はい、今そういうこと訊いちゃおうかなってすごく思っていて、それを訊いてみたいなって思って、っていう今、ところなんですけど、はい、と言った。でも彼は、彼の名前を結局教えてくれなかった。適当なハンドルすら、嘘でもいいのに言ってくれず、無視されたので、私の頑張りは、結局おそれていた通り、何の意味も持たずに終わった。(p.28)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記