自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャーインスティチュート/大和書房)
自分の「箱」に入っている状態というのは、この本の定義では、「人と人として認識せず、物として扱っている」状態ということになる。
「箱」の中にいる時、人は正常なコミュニケーションがとれなくなる。
鴻上尚史氏が、何かの本で、
「小さい組織の中で、誰かが自分の心を閉じることで、周りの人も同じことをするようになる。そうするとどういうことになるかというと、全員が決して自分からは心を開かない状態になる」
というようなことを書いていたけれど、実際、そういうことは、組織の中で起こりがちな膠着状態なんだろうと思う。
この本がスゴかったのは、自分の「箱」に入っているということの考察からさらに一歩進めて、「箱」に入っている時、人はどういう心理状態に陥るかということを実に的確に書いていることだった。
「箱」に入って、自分自身の感情に逆らうと、自己正当化のプロセスが始まって、相手の悪いところを見つけることで、相対的に自分が正しいと思い込もうとする。
そうすると、次には、「相手が失敗をすることを、無意識に喜ぶようになる」という洞察は、本当にその通りだと思った。
文章はあまり読みやすいものではなく、例として挙げられている物語もイマイチだし、やたらと長ったらしく書かれているところはツラい。まとめればそのエッセンスは、数ページに収まるようなものになるだろうと思うのだけれど、その、数ページ分で言われている内容が素晴らしい本だった。
【名言】
人間は、相手が自分をどう思っているのかを感じることができる、これがポイントなんだ。
自分が相手から、なんとかしなくてはならない問題と見なされているのか、操られているのか、策略を巡らされているのかが、わずかな時間でわかってしまう。偽善だってかぎつけられる。(p.50)
見かけ上、わたしが何をやるにしても、たとえば席に座り、人を観察しながら新聞を読むにしても、それには基本的に二つのやり方がある。
他の人々をあるがままに、わたしと同じようにまっとうなニーズや望みを持った人々として見るか、あるいはそうでないか、この二つだ。
前にケイトがいっていたんだが、一つ目の場合には、人は、自分を他の人々に囲まれた一個人だと感じているのに対し、二つ目の場合には、物に囲まれた一個人だと感じている。前者の場合、わたしは箱の外にいるが、後者の場合は、箱の中にいる。(p.63)
いったん自分の感情に背くと、すべての思考や感情が、何をしようと自分が正しい、と主張しはじめるんだ。(p.119)
「箱の中にいたわたしが何よりも求めていたのは、自分が正当化されることだったの。一晩中、いいえ、もっと前から息子を責め続けていたとしたら、自分が正当化された、自分が正しかったと感じるために、何が必要になる?」
「相手が間違っていなくてはなりませんね。息子さんを責めている自分を正当化するには、相手が責めるに足る人間でなくてはなりませんから」(p.162)
【謝辞】
この本は、むっちょりがおススメしたことがきっかけで読みました。
普通だったら、割とさらっと読み飛ばした系の本と思うのだけれど、彼が強く推しているからには何かがあるに違いないという先入観によって、注意深く読むことになり、その分多くの気づきが見つかりました。