文鳥・夢十夜(夏目漱石/新潮社)
「文鳥」は、漱石の静かで孤独な生活が伝わってくる話しだった。
鈴木三重吉から、文鳥を飼う話しを持ちかけられても、まったく興味を持っていなかったのが、実際に飼ってみると、少しずつ愛着のようなものが生まれてくる。独り執筆する書斎に、文鳥の千代千代という鳴き声が時々聞こえてくる。文鳥を、昔知っていた女になぞらえてみたり、その姿の描写は、詩的でユーモアがある。
漱石は、生き物に積極的な愛情を持つような性質ではないけれど、関わった以上は面倒をみなくてはという義務感のようなものがある。それでも、どう接していいかわからないし、元々好きで飼ったわけでもないから、頭からすっかり文鳥のことが抜け落ちてしまうこともある。この距離感が、なんだか心地いいと思った。
終わり方はけっこうひどいのだけど、この、鳥への身勝手な関わり方と、後に残るとんでもない寂しさ、どうしようもない取り返しのつかなさこそが、この小説の味なのだと思う。
「夢十夜」は、その名の通り、夢の中の話が10編。
いずれも、夢のもつ不条理さが存分にあらわれた話しだ。ただ、その不思議な感覚を楽しむべきで、その夢にどんな意味があるのか?を分析しようとするのは不粋というものだろう。
読んだ人に、第何夜が一番好きかを聞いてみるのは、その人の嗜好がわかって面白い。自分は、ダントツで第七夜が好きだ。
【好きだった夢ベスト3】
第七夜→大きな船から逃げようとして身を投げる夢
第一夜→死んだ女の墓の前で100年待つ夢
第六夜→運慶が護国寺で仁王を刻んでいる夢
【名言】
自分は出口を塞いだ左の手の処置に窮した。人の隙を窺って逃げる様な鳥とも見えないので、何となく気の毒になった。三重吉は悪い事を教えた。(「文鳥」)(p.14)
ある晩宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越しに差し込んで、広い縁側がほの明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。その隅に文鳥の体が薄白く浮いたまま留まり木の上に、有るか無きかに思われた。自分は外套の羽根を返して、すぐ鳥籠を箱のなかへ入れてやった。(「文鳥」)(p.23)
そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。(「夢十夜・第七夜」)(p.53)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記