クレィドゥ・ザ・スカイ(森博嗣/中央公論新社)
今までの巻とまったく趣向を変えた構成で書かれている。同じ世界の中の物語でありながら、巻によって毎回、視点や構造をここまで変化させて描くというのは、すごい表現力だと思う。
それにしても、この作品の文体は何故こんなに気持ち良いのだろう。
文章のリズムが、この言葉の次にはこんな言葉が来る、という予想を裏切って、思いもよらぬ方向に流れてゆく。そういうこともあるけれど、やっぱりこの、刹那的で乾いた空気が、自分の好みと合っているということなのかもしれない。
この「クレイドゥ・ザ・スカイ」では大きな謎が提示されている。この巻は、全編が一つのミステリーだ。そして、この謎は、「スカイ・クロラ」シリーズの最も根本的な「キルドレ」の本質に関わっている。
「スカイ・クロラ」シリーズを読み進めていた時、キルドレという存在について、なんだか定義が曖昧で、パイロットになる必然性も感じられないし、余計な設定だったんじゃないかと思っていたけれど、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」に来て、その点は自分の大きな勘違いだったのだと思いしった。
著者は、確信犯的に、すべての構造をきっちりと組み立てた上で、この「クレイドゥ・ザ・スカイ」をシリーズ最後の巻としてぶつけてきたのだ。そして、そのために、時系列としては最も最後になる「スカイ・クロラ」を敢えて最初に世に出した。
今まで、クサナギ、クリタ、カンナミ同士の会話で、「どういう意味だ?」とひっかかりを感じた部分には、やはり伏線があったのだ。
シリーズ全体を通して、これだけのクオリティーを保ちつつ、しかも、全体を通して把握することによって、さらに大きな世界観が見えてくる。ここまでの緻密な物語作りをするというのは、どこまで途方もない才能なんだろう。森博嗣氏の真骨頂が凝縮された作品だと思う。
【名言】
言葉だけで、ずっと一緒にいるつもりだ、と言うことはたやすいし、そんな嘘の言葉でもいいから、彼女は欲しがっているのかもしれない、ということは想像できた。だけど、残念だけれど、僕は無駄なこと、意味のないこと、確信が持てないことには、手を出さないことにしているんだ。それは、空で学んだこと。命を懸けて相手と戦うときに、これだけはしてはいけない、という自分との約束だった。無駄なことをしないというのが、尊敬する相手に対する礼儀だ。その約束を破ったら、墜ちていくときに、自分を祝福できないだろう。(p.60)
テレビがニュースを伝えている。僕は毛布から顔を出した。戦争のニュースだったからだ。空母から戦闘機が飛び立つシーンが少しだけ映し出され、そのあとは、地図に二色の矢印。
そうか、あんなふうに、僕たちは矢印になるんだな、と思った。向ってくる別の色の矢印もあって、矢印がぶつかるところが、お楽しみのダンスホールってわけだ。(p.69)
静けさが、残された煙と混じり合う。
彼女は毛布の中に白い身体を包んで、僕をじっと見た。明日の分の涙が、頬を斜めに伝っていた。(p.100)
どんなメカニックでも同じ。ただ、綺麗なボディを被り、見えなくしているだけ。車はみんなそうだ。メタリックの塗装で光り輝いている。銀のモールドがぴかぴかだ。シートはソファと同じくらいふかふかで、木目のダッシュボードは額縁みたいにつるつる。スピーカからは楽しい音楽が流れ出る。楽しさと綺麗さで、シャーシの重さと黒さを隠している。肝心のメカニズムは見えないようになっている。
飛行機には、これがない。
飛ぶために余分なものは載せられないからだ。(p.220)
■「スカイ・クロラ」シリーズ
「スカイ・クロラ」
「ナ・バ・テア」
「ダウン・ツ・ヘヴン」
「フラッタ・リンツ・ライフ」