人間は考えるFになる


人間は考えるFになる(森博嗣・土屋賢二/講談社)

いずれも、大学で教えながら文筆活動をしているという共通点を持つ二人の対談。
ただ、あまり読み手のことを考えている対談ではなく、この二人の組み合わせであればもっと面白い話題もありそうなものなのに、あまり意味やオチのない話しで終わってしまっている感じではあった。
まったく深刻なテーマはなく、全体的に軽い話題ばかりで一貫しているのだけれど、その中でも、森博嗣氏の言葉の中にはとても面白く、その価値観をうかがわせるようなものがいくつかあった。
特に、小説の書き方について説明をしている部分は、これはもう完全に森博嗣氏オリジナルの作法が出来上がっていることがわかって、その一端を垣間見れただけでも、価値のある対談だった。
【名言】
悪い作品を書くぐらいだったら書かない方が良い、良い作品だけ残した方が良いって、そういう気持ちがエンジニアとして理解できないんです。どんなものでも誠実に作っていれば、その人のものだし、なんらかのプラスになると思うんですが。(森)(p.30)
工学は、専門的なもので先生の力が示しやすいんですよ。学生たちを圧倒できるというのがありますね。数学もそうです。学生にはわからないのに、先生にはわかるという状況がある。だから、力の差が歴然としていて、これはもう教えてもらうしかない。そうなると、批判的には見られない。
答えというのでしょうか。それがあるかないか、によります。建築だと設計をやりますが、学生が作ったものに先生がアドバイスをする。そうすると、やはり言われたとおりにした方が良い。それが、明らかにわかるんです。そうなると、この先生は凄いと思える。哲学だと、それが理解できにくいのではないでしょうか。(森)(p.44)
大学の先生っていうのは、もっと暇にしてなくちゃいけませんよね。部屋でいつもごろごろして難しい本読んでて、何やっているかわからないというのが、学生から見たら憧れの姿だったんですよね。(森)(p.79)
小説家っていうのは、最後に「完」って書ける人のことだと思うんです。誰でも書き始めることはできます。小説家だけが話を終わらせることができる。どこで話を終わらせるか、というのが非常に難しい。まだエッセイならどこでも終われますものね。
一つ書くとやみつきになるかもしれませんよ。エッセイよりもずっと楽だと思います。両方書いてみて、そう感じます。エッセイは発想とかテーマとかないと書けないけれど、小説って空気みたいなところから書けますから。あとは、終わらせる技術。(森)(p.179)