ナイトサイエンス教室(1)生命の意味

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ナイトサイエンス教室(1)生命の意味(村上和雄/徳間書店)

著者の村上さんは、単に科学者であるというだけでなく、もともと天理教に馴染み深い家庭で生まれ育ったというバックグラウンドがあるため、宗教的な考え方が多分に含まれている。
生物の成り立ちというのは、ダーウィンの進化論だけで考えるにはあまりにも上手く出来すぎていて、そこにはサムシンググレートともいうべき、神のような存在が介在しているのではないかというのが、村上さんの背景に常にある思想だ。
このような見地から物を考える科学者の言葉は、科学だけですべてが説明出来ると考えている科学者の言葉よりも遥かに面白い。考え方が固定的でなく、柔軟である感じがする。
この本では、DNAや酵素のことなど、生物の仕組みが「どのように」出来ているかというスゴさも充分に説明されているけれど、それに加えて、「何故」このような仕組みを作ったかを推測するという点にどちらかというと重点が置かれていて、そこが面白かった。
量子論は、シュレディンガーの方程式などの理論的な体系がそこに加わって、量子力学という学問へと発展した。それと比べると、進化論というのは、まだ「理論」を脱していない仮説の段階であり、それが学問として正式な位置を占めるには至っていない。生物学にはまだまだ謎めいた部分がたくさんあるということを、ワクワクする要素を含めて教えてくれる、こういう本は最上の読み物だ。


ある意味での天才、あるいはそれを超える人というのは必ずしも幸せではないのではないかと思いますね。たとえば、みんながバカに見えるわけですよね、そうするとそういう人は幸せじゃないですよ。そしたら、なんのためにそういう人を作るのか。そういうと、「科学の進歩のために」ということがとかくいわれるんだけれども、「なんのために科学を進歩させるのか」ということです。その人が幸せで、人類も幸せにならないと意味がないですよ。ある特定の知能だけがすばらしい人を作るというのは、個人的には反対ですね。(p.191)
アトランダム、偶然に進化したというのは考えにくい。偶然に遺伝子の変異が起こるとしたら、だいたいまずいほうに起こるわけです。優れたものになる可能性はものすごく低い。だから、何をもって優れたというかは問題だけれども、人間の遺伝子が変わったことによって、生きるために高度にものになる確率は非常に低いものだと思いますね。ですからそれが蓄積してきたとするダーウィンの説は、少し無理があるような気がします。(p.248)