幻惑の死と使途


幻惑の死と使途(森博嗣/講談社)

この巻での主要テーマは、「名前」だった。
「名前」や「言葉」や「固有名詞」は普段思われている以上に特殊で特別な意味を持つ存在らしく、「名詞の概念」は人間だけが到達した、複雑な思考らしい。京極夏彦氏は同じことについて、作品の中で「呪(しゅ)」という言葉で表現している。「名前」というのは、自分自身の存在そのものにも深く係わりのある、かなり根源的な命題である気がする。
この、森博嗣氏のS&M(犀川創平と西之園萌絵)シリーズを読んでいる時には、ストーリーや謎解きのところはほとんどスッ飛ばしてしまっている。あまり重要視していないし、理論的に破綻があるのか無いのかというところもどうでもいい。
ただひたすらに、そこに出てくる言葉(特に犀川先生のセリフ)にしびれるという読み方になってしまう。言葉を求めて本を読んでいる部分が多い自分にとっては、このシリーズは本当にたまらない。
【名言】
物理の難しい法則を理解したとき、森の中を散歩したくなる。そうすると、もう、いつもの森とは違うんだよ。それが学問の本当の目的なんだ。人間だけに、それができる。ニューラルネットだからね。(p.283)
それが「桜の木」だと人々が感じるのは、一年のうちの数週間で、残りのほとんどはそれはただの「木」でしかない。
同様に、人はアウトプットするときだけ、個たる「人」であり、それ以外は、「人々」でしかない。(p.417)
君がどんどん賢くなって、立派な人格になって、君が望むとおり成長したとしよう。外的に変化するのは、君の西野園萌絵という名前の概念だけだ。少なくとも、外部から観察した場合、具体的な変化はそれしかない。つまり、君は、自分の名前の概念を変えるために生きていることになる。(p.511)