『プロジェクト・ヘイル・メアリー』人類にとって地球外生命体は敵か味方か、という問いへの新しい回答


『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(アンディ・ウィアー/早川書房)

大作だった。
本格SFっぽく、宇宙空間では地球上とは違ってどういう現象が起こるのかを、事細かく、論理的に矛盾がないよう記述している。
ここの舞台設定のところは、SFとしての要の部分ということで特に力を入れているのだろう。
最初は感心しながら、その緻密な描写を楽しんでいたのだけれど、それが本当に物理学的に検証して正しいのかは自分にはわからないので、途中からはあまり関心を持たなくなった。

最初のほうは、前提となる設定の話ばかりなので退屈なパートが続くけれど、その説明が終わった後から、どんどんと面白くなってくる。

この小説のハイライトは、人類が初めて、地球外生命体と接触する場面だ。
宇宙船を飛ばして外宇宙まで来れるほどの知的生命体とは、いったいどのような存在で、どのような姿をしているのか。

劉慈欣によって書かれたベストセラーSF小説『三体』と対比すると、だいぶ世界観が異なるのがわかる。
『三体』では、人類は地球外生命体に対して恐ろしいほどに懐疑的な、性悪説をベースにした生物観を持っていて、論理的に考えればすべての知的生命は同じ性悪説の結論にたどり着くはず、という考えを前提にしていた。

この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の場合、それとはまったく逆で、知能や文明レベルは高度であるにもかかわらず、友好的で人情味まである、人類の友人になり得る地球外生命体「ロッキー」が登場した。

人々が考える宇宙人といえば、『E.T.』のような友好タイプと、『エイリアン』のような怪物タイプのどちらかが一般的で、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、『E.T.』に近いほのぼのとしたテイストだ。、

しかし、どれが実態に近いかということになると、『三体』の考察が最もリアリスティックで、現実を反映しているかもしれない。生物の世界はそもそもが弱肉強食で、人類同士の間ですら、食料が不足している時には容易に殺し合いになる。

この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の登場人物の中で一番のリアリストであるストラットも同様のことを言っていた。
人類が現在のように比較的争いが少ない状態で共存できているのは食料の供給がおおむね上手くいっているからであって、地球の住環境が厳しくなって、生き残れる人間が少数ということになれば、たやすく原始的な闘争状態に戻る、と。

もし宇宙船に乗って地球外生命体に遭遇したのがストラッドだったなら、殺られる前に先制攻撃を仕掛けて、叩き潰そうとしたかもしれない。そして、返り討ちに遭って自滅していたかもしれない。

しかし、宇宙船に乗っていたのは、メンバーの中で最も楽観的で、ユーモアがあり、人情味があるグレースだった。
だからといって、異星人も同様の思考回路を持って、しかもユーモアや相手を思いやる感情まである、と考えるのはあまりにも楽観的過ぎるとは思うのだけれど。

グレースは、最初、記憶を失った状態でコールドスリープから目覚めて、そこから徐々に、過去の出来事を思い出す、という構成になっている。
そのために、いったいどういう経緯で彼が宇宙船に乗り込むことになったのかが判明していくという、ミステリー的な要素があるのは面白かった。
思い出す順番が、直近の出来事からではなくて、昔から現在の方向に向かって思い出すというのは、ちょっと都合が良すぎるけれど。

最終的に、ストラットとグレースはお互いに理解をして、親しみを持った状態に行き着くのかと思っていたけれど、そうではなかったらしいのは意外だった。

地球人について持っている最後の記憶があれでは、グレースが、地球に還ることを諦めて、異星人であるロッキーの命を救うことを優先したのもわかる。
ロッキーのいい奴ぶりが浸透した後なので、すっかりロッキーの故郷であるエリドのほうに感情移入していた。

長編SFとして、読み応えはとてもあったけれど、科学的な裏付けの説明部分が多すぎて、そこは簡略化しても良かったのではないかと思う。

いかに緻密な舞台設定にしようとしても、想像で地球外生命体を書いている時点で、どこまでいってもフィクションであることからは逃れられないのだから。

それでも、ここまでの世界観を一人の頭の中で構築して壮大な物語を作り上げたのは、ものすごい想像力だと思う。

名言

「なんてことだ」頭がくらくらした。
「17ナノグラム・・・掛ける9掛ける10の16乗は、、、1.5メガジュール!」
ぼくはドサッと椅子にすわりこんだ。「まさか、、いやあ・・ワオ!」
「わたしもまさにそう感じたよ、ああ」
質量変換。かの偉大なるアインシュタインはかつて言った。E=MC2。質量には途方もないエネルギーが秘められている。現代の核プラントはウラニウムたった1kgに蓄えられているエネルギーで、都市まるごとひとつの1年分の電力を供給することができる。そう。そういうこと。原理炉一つが1年で生み出す全電力は1kgの質量でまかなわれているのだ。
アストロファージは、明らかに、これを双方向でやっている。熱エネルギーを取り込んで質量に変える。エネルギーを取り戻したい時には、質量をエネルギーに変換する。
ペトロヴァ・ラインという形の光に。そしてそのエネルギーを、宇宙空間を旅する推進力として使う。だからアストロファージは完璧なエネルギー貯蔵媒体であるだけでなく、完璧な宇宙船エンジンでもあるのだ。
数十億年放っておくと、進化は途方もなく効率的なものを生み出す。
「こんなの、どうかしてますよ。いや、いい意味で。」(5章)

条件が揃えば惑星には磁場が生じる。溶けた鉄の核があって、恒星の磁場内にあること。そして、回転していること。この3つの条件が揃えば、磁場が生じる。地球にもある。だから磁石が使えるのだ。
エリドはそのすべてを、それも強烈な形で備えていた。地球より大きいので、地球より大きい鉄の核がある。恒星に近いから、恒星の磁場の影響はより強く、エリドの磁場も強くなった。そして回転速度はものすごく速い。すべてが合わさって、エリドの磁場は、少なくとも地球の25倍は強力だ。
プラス、エリドの大気は非常に濃い。地球の29倍、濃密だ。
強烈な磁場と、濃密な大気が得意とするところは何か。放射線の遮蔽だ。
地球上の生命は、すべて放射線に対処できるように進化した。僕らのDNAには、エラー修正機能が組み込まれている。なぜなら僕らは常に太陽から、そして宇宙空間からの放射線の爆撃に晒されているからだ。地球の磁場は、僕らを放射線からある程度守ってくれるが、100%ではない。
エリドの場合は、100%だ。放射線は地上には届かない。光さえも、地上には届かない。だから彼らは、眼を進化させなかった。地表は真っ暗闇。完全な闇の中で、生物圏はどう存在しているのか?それはまだロッキーに尋ねていないが、太陽光がまったく届かない地球の深海にも、たくさんの生物が存在している。だから、ちゃんと存在できているのは間違いない。(14章)

「計算は考えることではない。計算は手続き、プロシージャ。記憶は考えることではない。記憶はストレージ。貯蔵容量。考えることは考えること。問題解決。君と僕は同じスピードで考える。どうして?質問。」
「うーん」
しばらく考える。実にいい質問だ。どうしてロッキーは、僕の1000倍賢くないのだろうか。あるいは、1000倍鈍くはないんだろう。
「うん・・・どうして僕らは同じスピードで考えるのか、僕なりの理論が見つかった。と思う。」
「説明する」
「知性は、僕らが、僕らの周りにいる動物に対して、優位に立てるように進化する。しかし、進化は怠け者だ。だから君と僕らは、僕らの周りの動物より、少し賢い程度に知性的なんだ。僕らは進化の結果、この程度の賢さになっている。つまり僕らは、僕らの惑星で一番優位に立てる、最低限の賢さの持ち主、ということだ」
彼はじっくり考えている。「僕はこれを受け入れる」(21章)

エリディアンの電子工学は、地球と比べると、かなり遅れている。ICチップどころか、まだトランジスタも発明されていない。ロッキーと仕事をするのは、言ってみれば1950年からやって来た世界一のエンジニアが一緒の舟に乗っているようなものだ。ある種が、トランジスタも発明しないうちに恒星間旅行をするというと奇妙な感じがするが、ほら、地球だってトランジスタよりも先に、核兵器やテレビを発明し、宇宙船の打ち上げも何度かやっていたのだから。(22章)

「史上最強の軍事力を誇る合衆国が、自国民の半分が餓えて死ぬのを、手をこまねいて見ていると思う?中国は?一番いい時でも、13億の国民が常に餓えを意識していないといけない国よ?彼らが近隣の弱小国を放っておくと思う?」
僕は首を振った。「戦争が起こるでしょうね」「ええ。戦争が起こるわ。古代の戦争のほとんどと同じ理由で戦争が起こる。食糧をめぐる戦争よ。宗教でも栄光でも、理由は何とでもつけられる。でも目的は常に食糧だった。農地と、そこを耕す人間を奪い合うの。でも、お楽しみはこれでお終いじゃないのよ」と彼女は言った。「絶望にかられた餓えた国々が、食糧を求めて互いに侵略し合うようになると、食糧生産料は減る。太平天国の乱って聞いたことある?19世紀に中国で起きた内戦よ。戦闘で40万人の兵士が命を落とした。そして、その結果起きた飢饉で2000万人が死んだ。(26章)