ケインとアベル 上下巻(ジェフリーアーチャー/新潮社)
まったく同じ1906年4月18日に、まったく異なる場所と環境に生まれた2人。
片方はボストンの名門銀行家の家に生まれて、もう片方はポーランドの辺境で私生児として生まれる、という設定のスゴさ。この導入には、相当に惹きつけられる。
第一世界大戦を少年時代に経験することになる2人の、立場による運命の違いというのが、この時代が最も対照的で、一番激しい。
かたや、ドイツ軍とロシア軍の板ばさみとなるポーランドで捕虜の憂き目に遭い、もう一方は、戦勝国アメリカの好景気の真っ只中で何不自由なく育つ。
小説のメインテーマは、この2人の人生が密接に関わりあっていくところにあるのだけれど、それぞれの生い立ちからずっと続く物語も、単体としてかなりドラマチックだ。どちらかというと、この主人公同士のつながりの部分よりも、それとは関係ない、サブストーリー的な部分のほうがずっと面白かった。
所々に、偶然にしてはありえないほどの都合のいい出会いがあるところは不自然なのだけれど、基本的には、リアリティーを失わないための細かいディテールの積み重ねの上に出来上がっている、緻密な物語だ。
二つの世界大戦や、世界恐慌、タイタニック号の沈没などが、個人の人生にダイレクトに影を落とす様を見ていると、歴史的事件の重みが、具体的な実感として理解出来る。
ウィリアム・ケインの歩んだ歴史は、アメリカ現代史の歴史とぴったりと歩調を合わせているので、ケインの成長と共にアメリカが歩んで来た道と、その時代の空気がとても良く伝わってくる。
アベル・ロスノフスキもまた、ポーランド移民の一世としての視点でアメリカという国を見ている人間で、異なった立場から複眼的にアメリカの姿が描かれているというところも良かった。
2人の主人公の、誕生から死までをこうして俯瞰して見せられると、そのどちらの人生にも愛着が感じられるようになってくる。しかも、どちらにも、背負っている様々な歴史やしがらみや家族があるということが分かっているので、両者に対して深く感情移入してしまう。
こういう話しは、やっぱり、たまらなく面白い。
【名言】
ポーランドの運命はセルビアのそれと同じように危機に瀕しているかもしれないが、われわれには歴史を動かす力はない。われわれはまわりを囲む三大強国のなすがままなのだ。(上巻p.59)
意識を取り戻したとき、ヴワデクは小さな部屋でベッドに横たわり、長い白衣をまとった三人の男が、彼の知らない言葉で話しながら念入りな診察をおこなっていた。この地球上にはいったいいくつの言葉があるのだろうか?(上巻p.182)
アメリカ合衆国、この国をパーヴェル・ザレスキは「新世界」と呼んでいた。「新世界」という名前そのものがヴワデクの心に将来の希望と、ポーランドに凱旋する夢を吹き込んだ。切符は常に一年先まで予約でいっぱいで、なかなか手に入らなかった。東ヨーロッパのすべての人々が故国を脱出して、「新世界」で最初の一歩からやりなおそうとしているように、ヴワデクには思えた。(上巻p.292)
トニー・シモンズと永年いっしょに働きながら、彼がどんな人間か知るまでにいたらなかったのに、今わずか数日間の個人的危機を経ただけで、それまではろくにわかっていなかった人間をたちまち好きになり、信用するようになったということは、考えてみればいかにも奇妙だった。(下巻p.109)
アベルはいつの日かポーランドがふたたび自由になり、自分の城が戻ってくるまで生きられるかもしれないと信じたかったが、ヤルタ協定におけるスターリンの成功のあとでは、その可能性もはなはだ疑わしかった。(下巻p.211)