『黄色い家』【川上未映子】移ろいやすい人の心がたった一瞬寄り添った奇跡


『黄色い家』(川上未映子/中央公論新社)

「黄色い家」というタイトルで、なにかファンシーな、ほのぼのとした話を想像したのだけれど、まったく違った。
黄色は、暖かさを感じる希望の色でもあり、風水的な金運を象徴する色でもあり、危うい狂気を感じさせる色でもある。

「家の色」ということで考えると、アクセントとして一部に黄色が使われることはあるとしても、家の壁一面が黄色に塗られるとすれば、それは普通のことではない。

ヨンス、琴美、ヴィヴィアンといった、主要な登場人物が、皆、臨場感を感じてリアリティーがある。それぞれが魅力的だ。
トロスケや、桃子を連れてきた男や、桃子の妹の静香のような、ちょっとしか登場しなかった人物すら、その描写から伝わってくる存在感がスゴい。
静香の、ものすごい美貌なのに、死ぬほど歯が汚くて不潔だというインパクトが強烈すぎて、このキャラだけでも様々なことを想像させる。

プロローグの部分でほのめかされる、花や蘭や桃子が過去に犯した悪事がいったい何なのか、気になっていたけれど、わかってみれば、それは誰かを傷つけるといったたぐいのものではない軽犯罪だった。
蘭のように、自分の状況を客観視できる性格の場合には、それは単なる軽犯罪であり、しかもみずから進んでおこなったものではないので、当然のように罪悪感を感じる必要もなく、時間が経てばすっかり忘れてしまうような出来事なのだろう。
しかし、花のような、真面目で責任感が強い性格の人間にとっては、取り返しのつかない反社会的行為で、その自責の念が強すぎるために、記憶に強制的に蓋をする形で忘れてしまったのだろうと思う。

そう考えると、生きづらさの原因は、半分は環境だけれども、半分は自分自身の性格そのものだなと思う。
感受性が豊かで真面目な性格は、うまく環境にハマれば大きな長所になるけれども、環境が劣悪だった場合は、逆に悪いほうに転がっていきやすい。

何度も金をかすめ取られて、また貯めては騙し取られて、の繰り返し。
それはもちろん、周りに集まるタチの悪い人間のせいではあるのだけれど、周りに流されやすく、いいように利用されやすい本人自身にも原因がある。

最後の場面、花の性格からして、黄美子の居場所がわかった以上は、会いに行かずにはいられなかったのは仕方ないと思うのだけれど、会いに行って良かったのかどうかは疑問だし、おそらく、一生会わないままのほうが良かったような気はする。

そこも含めて、持って生まれた性格は変わらないものだし、背負った運命というか、業のようなものを感じる。

20年前の出来事を回想した話なので、「iモード」とか「サターン」とかが出てくるのは面白かった。
スナックや銀座の雰囲気も、一時代前の様子を感じさせるし、カード偽造の犯罪も、まだネットやカード技術が未発達だった当時だからこそ可能な、今だったらとても実現できないもので、そういう時代考証も見事だなと思った。

小説の中でとくに惹き込まれたのは、ヨンスとヴィヴィアンの思い出語りの場面だ。
ヨンスの、声がキレイで物静かな様子からは想像もつかないほどの苛烈な生い立ち。
27歳にしてバカラで1億張ったというヴィヴィアンが話す、博打の魔力や、その魔力に囚われた人間の心理。
見た目はいたって普通で地味なのに、度胸があって、極めて合理的な判断ができる。こういう人間でないと裏社会で生き残ることはできないのだろうと思う。

昔からの顔なじみだったという、黄美子、琴美、ヨンス、ヴィヴィアン、といった人物の中では、黄美子が最も平凡だ。こまめに部屋の掃除を欠かさない。人よりも少し要領が悪く、愛情深い。目の前の人が、お腹がすいていないかをつねに気にしている。だからこそ、花の必要としていた部分としっかりと噛み合って、不可欠な存在になったのだろう。

物語の出だしの描写からして、この、割りと穏やかにみえる黄美子が、いったいいつどこでモンスターへと変貌していくのかと待ち構えながら読んだけれど、実際には、変わっていくのは黄美子ではなくて、花のほうだった。
ここは、大きな予想の裏切られ方で、作者も、そのミスリーディングを誘うために、あえて新聞記事の内容から話を始めたのではないかと思う。

クセが強すぎる登場人物たちの中では、蘭だけが比較的真っ当な感覚を持ち合わせていて、その唯一の人物の視点から、この物語を見させられていたような気がする。

桃子は、しっかりと自分の分け前の大金を受け取って、元の生活へと戻っていった。
その一点だけをみれば、うまくやったとも言えるけれども、その後、どうなっているかはわからず、どう想像しても、幸せになっているというイメージはない。

花の母親のキャラクターもすごかった。死ぬまでほとんど花に関わろうとすることはなく、唯一、母親から連絡を取って近づいてきたのは、200万もの金を無心に来たときのみ。その、借りに来たときの態度も絶望的に終わっていた。
でも、死後の遺品の中に、花へ渡すためにシワの寄った1000円札がわずかに集められていたのは、どういう心情だったのか、謎を残した。

とても長い物語だったけれど、花のこれまでの半生を追体験するにはこれだけの分量が必要だっただろうと思う。その長い年月に渡るディテールの積み重ねがあるからこそ、花にとっての黄美子の存在が何だったのかが明確に伝わってくる。

突然いなくなって、しかし、冷蔵庫の中にいっぱいの食べ物を入れていって消える、という
場面は印象的だった。

人の心は移ろいやすい。ある瞬間、奇跡的なまでに心が通じ合ったとしても、次の瞬間には別人になったかのように気持ちが離れてしまう。

40年にわたる花のこれまでの生活の中で、幸せだった記憶が残る部分は、全部合わせても1年にも満たない、ごく短い期間だったのだろうけれど、そういう時間があっただけでも奇跡的だと言える。
その鮮烈な記憶があるかぎり、花の人生は不幸なものではなかったといえるんじゃないかと思う。

名言

このさき、自分がどこで生きることになっても、何歳になっても、どうなっても、彼女のことを忘れることはないだろうと思っていた。
けれど今さっき、偶然に辿りついた小さなネット記事で彼女の名前を見るまで、そんなふうに思ったことはもちろん、彼女の名前も、存在も、一緒に過ごした時間も、そしてそこで自分たちがしたことも、なにもかもを忘れていたことに気づかなかった。(p.7 1章1)

黄美子さんは、これまでどこでどんなふうに働いてきたのか、わたしに詳しい話はしなかったけれど、わたしの母親のように若い頃からずっと水商売をして生きてきた人なんだろうということは、なんとなくわかるところがあった。
母親と住んでいた文化住宅に入り浸っていた水商売の女の人たちはみんな、顔も性格も、年齢だって違っていたけれど、でもそこには、それがなんであるのかはうまく言えないのだけれど、みんなにうっすらと共通している、なにか見まちがえようのないものがたしかにあって、わたしはいつもそれを感じていた。
黄美子さんにも、それがあった。目つきでもなく、話しかたでもなく習慣でもなく、服装やお金の遣いかたや笑いかたや、においでもない、なにか。わたしが育ち、わたしが一緒に生きてきた人々や家にしみついて離れない、いったいあれはなんなのだろう。(p.79 3章1)

「あんたらにこんなこと言うのもあれだけど、水商売ってのは惨めだね。若いときはいいよ。でも生きてたらみんな年とるからね。年とってみるまで年とるってどういうことか、わからなかったわ。一生懸命やってきたけど、なんも残ってねえ」(p.154 5章)

わたしが1年半をかけて必死にこつこつ貯めた72万6千円はトロスケとともに消えてしまい、二度と戻ってくることはなさそうだった。(p.68 2章4)

「花ちゃん、ほんとにほんとにありがとう!」母親は鼻のまえで拝むように手を合わせた。
「いいよ、大丈夫」
母親はにっこり笑って、わたしもにっこり笑った。けれど母親は笑顔のまま、なかなか目をそらそうとしなかった。一分くらい、おなじ状態がつづいた。あれ、これで大丈夫だよね・・・?という感じでわたしが何度か肯いてみせると、母親もおなじように笑顔で肯き、それでもまだどこかしらが真剣な感じのする目でじっとわたしを見つめるのだった。そこで、あ、そうか、いくら渡すのか肝心なことを話してなかったのかと気がつき、金額のことだけど--と言いかけたわたしにかぶせるように、母親が言った。
「そうっ、花ちゃんっ」
母親は笑顔のままで、わたしに大きくピースサインをしてみせた。たんに「やったあ!」とみたいな意味でピースをしているのかと思ったので、わたしも思わずピースをしかえした。でもそれはただのピースサインではなく、どうやら金額を示しているようだった。
「・・・二って、二万円でいいの?」ピースサインをしたままわたしが尋ねると、母親はぶんぶんと首をふった。
「え、二十万?」
「その、それが、ちょっと違うんだよお」
母親は笑ってるのか泣きそうになってるのかわからないようなくしゃくしゃの顔をしてピースとは違うほうの手の甲で鼻をこすり、身をよじった。「その、その・・・」
「え、なに」
「その・・・返すから、ちゃんと返すから、そのっ」母親は顔のまえで手をこすりあわせながら言った。「二っていうのは、そのっ、思いきって言うね、言うけどっ、二っていうのは二百なのっ、二百万なの」
(中略)
「いや、なになになに」
やっと声を出せたわたしは思わずソファにのけぞって笑ってしまった。「なになにお母さん、なにそれ二百万て」
「そんな顔しないで、事情があるんだってばっ」
「ないって、そんなのないから、あはははは」
「違うの、お願いなの、貸してもらえないと、お母さんほんとにだめなのっ」
「むりむり、もう、うけるなあ、あははは」
べつに笑えることはなにもなかったし、悲しいとか腹立たしいとか怒りとか自分が今どんな感情なのかもよくわからなかったけど、わたしはおかしな角度に体をひねってソファにもたれて、へらへらと笑っていた。(p.285 7章3)

「人生って?」
「いや、だから、間違ってないかもしんないけど、でも、おまえの人生どうなんだっていう」
「それは」黄美子さんがわたしの顔を見て言った。「誰に訊かれるの?」
「え?」
「誰が、そんなこと訊くの?」
「誰って」
わたしは黄美子さんの顔をじっと見つめた。
「誰もそんなこと、訊かなくない?」
「訊かないかもしんないけど」
「じゃあ、いいじゃんか」
「え、いいの?」
「だってそんなこと、誰も訊かないよ」
「・・・自分が自分に、訊いてるのかもしんないけど」
「じゃあ、自分で自分に訊くの、やめればいいじゃんか」(p.305 7章3)

わたしたちは必ず年をとり、年をとるにも金が必要で、体を壊したらお終いで、助けてくれる人など誰もいない。基本的に何も保証もない惨めな人生であることに変わりはない--少しでも安心しようとするとかつてエンさんと話したことが蘇って、わたしを不安のどん底に引き戻した。(p.353 8章3)

「連れっていうより、ふつうにしてたら顔あわせる感じだったんだよ昔は。ぜんぶ狭かったから。いちばん一緒にいたのは、あれ何年まえになるんだ、85年とか6年とかそんなだから・・・もう十年以上まえになるのか。バカラ時代だね」
「バカラ時代」
「バカラ。やったことある?」
「ないです」わたしは首をふった。
「まあ、やんないならやんなくてもいいけど」ヴィヴさんは目を細めた。「バカラは強いからね」
「強い?」
「一回やったら馬だのパチだのサイコロだの野球だの、ちまちましたものトロくてやってられなくなるよ。親が勝つか子が勝つか、バカラはそれしかないから、いいよね」
(中略)
「思ったとおりになる気分っていうのが、天才なんですか?」
「そう、天才」
「なんか、神さまになった気分とか、そういう感じではなくて?」
「神さんとかそういうこすいもんじゃなくて、こう・・・人間の最高の感じになるんだよ。人間のまま、人間の世界のことが、ぜんぶびかっとわかる感じ。ぜんぶが同時にみえる感じ。自分にみえた現実を、現実が--全部こっちにむかってくる感じというかね。そういう人間の最高っつったら天才ってことになるんじゃないの。」
(中略)
「でも、それは素人の話。わたしらの話じゃない。わたしらが賭けていたのは、あそこにあったのは、金じゃないんだ」
「お金を賭けてるのに、お金じゃないってどういうことですか」
「いや、金は金なんだけど、あそこでほんとに起きてたことってのは、なんていうか」そこでヴィヴさんは少し考えるようにして瞬きをした。「そう、金の奥にあるものっていうか」
「金の奥?」
「わたしさ、28のとき、サシで1億張ったことあるんよ。全財産かき集めて、借金できるとこぜんぶから集めて1億。バカラのために」
「1億?」
「一回の勝負でね。それで、わたし勝ったんよ」
わたしは目を見ひらいてヴィヴさんを見た。
「あのときのことはぜんぶ焼きついてる。わたしらのまわりを囲んでた何十人ものギャラリーがどんな顔してどんな服着て、どんな男がいて女がいて、勝負がついたときにどんなふうに声を漏らしたか、ぜんぶ完全にそのまんま、焼きついてるね。あのときに起きたこと、あれがたぶん、金の奥なんだよ」(p.366 9章1)

「金は権力で、貧乏は暴力だよ」ヴィヴさんは言った。
「貧乏人は最初からぼこぼこに殴られてるから、それがあたりまえのまま育つ。だからいろんなことがわからない。でもわからなくても腹は減るでしょ。腹が減ったら食い物がいる。食い物を手に入れるには金がいる。金を手に入れるにはどうしたらいい?働けばいい?どこで?どんなふうに?」
ヴィヴさんは前歯を見せて笑った。
「それは、あいつらのためのルールだよ。わたしはそんなルールは知らない。あんたも知らないでいい。だから金持ちの金についてはいっさい考えなくていい。あいつらの鈍さだけ、醜さだけ、想像してればいいよ。どんどんぬいてやればいい。あいつらの金は、わたしらの金とは違う。データだと思えばいい。っていうか、データだから」(p.386 9章2)

でもわたしは、わたしたちはこの数年をかけて、目のまえのこれを集めるために必死だった。わたしたちはなにを集めていたのか。金。金を集めていた。誰かが望むものに速やかに形を変えるもの。自分や大事な人を守り、満たし、時間と可能性そのものになるもの。未来、安心、強さ、怖さ、ちから--これまで金をつかみながら考えたいろいろなこと、こうしてひと塊になった金を見ながらいま頭にやってくる言葉のすべてが真実だという気もしたし、すべてが例外なく的外れであるようにも思えた。わからない。今わたしが見つめているこれは、いったいなんなのだ?(p.545 12章1)

違う。わたしはすべて自分で決めてきた、お金だって自分の意志で置いてきたのだ。もう金が恐ろしくてどうしようもなくなって、そのいっさいから逃れるために。違う、あれは映水さんと黄美子さんのためにしたことだったんじゃなかったのか?ひとりでは生きていけない黄美子さんのために、わたしたちが生きていくために、わたしはヴィヴさんのもとで走りまわっていたんじゃなかったのか。違う、自分のためだ、自分に優しくしてくれた黄美子さんを、桃子と蘭の言うままに、あんなふうに置き去りにすることが後ろめたかったから、だから、金を置いてきたのだ、いや、そうじゃない、わからない--。(p.578 13章)

年齢はわたしのふたつうえで、高知県の出身で、よく笑う明るい性格をしていた。一年後、その子に強く誘われて近くのアパートで一緒に暮らすことになった。わたしたちのあいだにあったものが友情だったのか恋愛だったのかはわからない。楽しい時間もあったけれど、しだいに彼女が仕事に行かなくなって喧嘩ばかりするようになり、そのあと彼女が部屋を出て、二年にわたる同居は終わりを告げた。
しばらくして引きだしに入れておいた3万円がなくなっていることに気がついた。傷ついたし淋しい気持ちもあったけれど、でもそれ以上にほっとしている自分にも気がついた。(p.579 13章)

カラーボックスのうえには百円ショップで売っているようなプラスティック製の写真たてがあり、タータンチェックのワンピースを着てピースサインをした小さなわたしが、笑顔の母の膝に座って笑っている古い写真が飾られていた。そしてその横にボール紙でできた卓上の引きだしがあり、白い封筒が入ってあった。鉛筆の薄い小さな文字で「花ちゃんにわたす用」と書かれてあり、なかにはほとんどが皺のよった千円札で、ぜんぶで7万3千円が入れてあった。わたしはきつく目を閉じた。(p.580 13章)

外からみればたしかにこの記事のようにしかみえず、逃げた女の子は若く、その言葉はたくさんの人々が理解できるもので、そして黄美子さんは黙っていることしかできない。うまく説明することなんかできない。そう、わたしの知っている黄美子さんがそうだったように。そして、あの家を出たわたしたち3人が、わたしたちのための事実をつくりあげたように。(p.584 13章)

「黄美子さん、ごめ、ごめん」わたしは言った。「急に来てこんな泣いて」
「いいよ」黄美子さんはよくわからないというような顔で言った。
ごめん、ごめん、急にきて、こんな泣いて。「いいよ?」貴美子さんはよくわからないという声で言った。(p.595 13章)