水滸伝 全19巻(北方謙三/集英社)
全巻を読み終わった感想は、この小説は壮大な組織論なのだということだった。
宋という大きな国に対して、対抗するために立ち上がった何人かの英傑が集い、個人から集団になり、それが一つの強大な組織となって、宋と互角に闘うことが出来るまで成長していく物語であるというところに、最大の醍醐味があるのだと思う。
梁山泊に集う好漢たちは、いずれも人に勝る一芸を持っているけれども、その技能は人によってまったく様々で、武に秀でた者や知に優れた者だけでなく、水中に何日間も潜っていられたり、説得が得意だったり、馬の扱いが上手かったり、足が速かったり、色々な特技がある。
その上に、性格もそれぞれが異なった個性を持っていて、そういう多様な人間が一つの志のもとに集まった時に、どのように組織というのは成長していくものなのか、ということを示している物語なのだと思った。
これは、ちょうど、新興のベンチャー企業が、既存の巨大企業にどのように立ち向かっていくか、という構図とぴったり重なるところがあって、そう考えると、特に起業にあたっての組織論として、とても優れたテキストなのだと思う。
裏表紙に書いてある、あらすじが危険で、その巻の重要シーンがダイジェストとして説明されてしまっていることが多いので、読む前に間違って見てしまうと後悔することになる。あと、本にかかっている帯も同じように危険なので、レジに持っていくときは本を直接見ないようにして、買ったらすぐに帯は外してしまうのがいい。
この小説は、序盤の、英傑がものすごいエピソードと共に続々と舞台に登場してくるあたりが一番面白い。中盤以降は、今度はその一人一人の散り様がカッコよくなってきて、そこも見どころなのだけれど、終盤になると、人が死にすぎてインフレ気味になってしまい、その描写もおざなりになって、死の重みがだいぶ薄れてきてしまった。
しかし、終盤には今度は、革命がいかにしてその終焉を迎えるかという、華々しい美学が語られることになる。これは、そこに至るまでの長い長い過程があるからこそ伝わってくるもので、長編小説にしか語りえぬ壮大な厚みがクライマックスにはあった。
↓名言は、あまりに量が多いので、追記としてまとめ
【名言】
ひとりでなにができる、と嗤うだろう。しかし、なんであろうと最初はひとりなのだ。俺は、そう思う。愚直と言われれば、そうだろう。しかし俺は、これと思った人間には必ず自分の言葉で語るようにしている。(魯智深)(1巻p.126)
体力の限界を超えた。ここから死まで。それがほんとうの体力だと、王進に教えられたことがある。鍛錬により、それはかなり長くなる。息も落ち着いた。心気も澄んでいる。ここから死までは、そういう状態が続く。楊志も同じだろう。(2巻p.117)
宋江は、あまり複雑なことは考えないようにしていた。志を見据え、見失わないようにする。自分のなすべきことは、多分それだろう。複雑なことは、呉用のように頭のいい人間が考えればいいのだ。(2巻p.198)
李俊:「自由に生きたいのですよ、俺は。役人などに阿ったり、指図をされたりもしたくなかった」
宋江:「そしていま、自由なのか?」
李俊が、言葉を詰まらせた。
宋江:「小さな自由のために、おまえは大きな自由を捨てた。ゆえに、私はおまえがやっていることを、一切認めぬ。おまえが駄目なところを、もっと言ってやろうか、李俊」
李俊:「いや、いい。俺は、自分が駄目だと思ったことはない」
宋江:「そこからして、われらとは相容れることがないのだ。自分は駄目だというところから、われらは、いや少なくとも私は、出発している。自分が駄目だと思っていない人間とは、ほんとうは話し合える余地はなにもない」(4巻p.224)
これが、ほんとうにやりたいことだった。いままで、いろいろなことをやってきたが、こんなふうに身体がふるえたのは、はじめてのことだ。役人の裏を掻いて塩の密売に成功した時も、昔は思ってもいなかった大きな屋敷を建てた時も、終るとなんとなく違うと思ったものだった。(4巻p.238)
楊志:「志とは、なんなのだろう、林沖。私も、官軍にいた時、志のようなものを持っていなかったわけではない。それと梁山泊の志と、どちらが正しいかと問われれば、いま自分が属している方の志だ、としか答えられないような気もするのだ」
林沖:「志は、志なりにみんな正しい。俺はそう思う。そして、志が志のままであれば、なんの意味もない」
林沖のもの言いは、冷ややかだったが、間違いではない、と楊志は思った。
林沖:「「おまえが官軍で抱いていた志が実現されれば、それはそれで立派なことだったろう」
楊志:「実現された志こそが尊い、と言うのだな。だから、志を実現させるために、闘わなければならないのだと」
林沖:「「俺は、そう思っている。そして、志についてつべこべ言うことが、好きではない」
楊志:「宋江殿も、そうかな」
林沖:「「いや、宋江殿こそ、志の人なのだ。そしてわれらは、その志にすべてを預けた。われらにできることは、志を実現するために闘うことだけだろう」(4巻p.283)
「宋江様は、『替天行道』の旗とともにあります。兵が死ぬように、死ぬことは許されていないのです」
「許されていない?」
「はい」
武松の眼に、あるかなきかの、悲しみの光がよぎった。宋江は、黙って眼を閉じた。自分の闘いをしようと、決めたばかりだ。それは、兵として闘うことではない。(5巻p.34)
「魯智深のように、誰にも好かれている男がいる。それだけの、苦労をしたからだ。私は、なんの苦労をした。忙しく駆け回り、頭を搾りはしたがな。嫌われるのが、私の役どころなのだと思っている」
「俺は、嫌いじゃないぜ。それに、呉用殿は苦労している。苦労をしていないのは、チョウ蓋殿と宋江殿ぐらいだろう。あの二人にだけは、苦労をさせてもいかん」(p.208)
「魯智深に訊きたい。痛くなかったはずはない。それを、どうやって克服したのだ。おまえは、わずかな汗しかかいていなかった」
「生きるも無」
「坊主のようなことを言うな」
「俺は、坊主だ」
「耐えられるはずがないのだ、あの痛みに」
「安道全。おまえは、人がこうだと決めてかかっている。そうではない人間がいる。いや、そうではなくなることができる、というのかな。魯智深はそうだ。俺も多分、腕を切り落とすぐらいなら、耐えられる」(5巻p.218)
「林沖は、五百の騎馬隊を指揮して、無敵だ。それは、俺も認める。しかし、五万の軍の指揮はできん。五万の軍を、一兵も無駄にすることなく生かしきれるのは、楊志殿だろう」(5巻p.249)
不安な顔、迷った顔。それを部下に見せてはならない。楊志に、はじめに教えられたことだ。いまは、部屋でひとりだった。いくらでも、不安な顔ができた。身体も、ふるえはじめている。ふるえるだけ、ふるえる。泣いてもいい。ただし、ひとりだけの時だ。兵舎の外では、兵たちのかけ声が聞こえる。やるべきことを与えられているというのは、実に楽なことだ。愉しいと言ってもいい。それに較べて、ひとりというのはなんと苦しいことなのか。(5巻p.324)
花栄:「私は、あの人の苛烈な性格はよく知っている。騙されたということを、許せるかどうかだ。こわいな」
魯達:「それはおまえが、人を騙したことも、騙されたこともないからだよ、花栄。騙されて怒り狂う玉なら、大したことはない。俺の命ひとつぐらいで済むだろう」(6巻p.44)
王進:「史進は、ここにいる間に、相手の殺気を削ぐということを覚えたのです。大した技ではありませんが、これが時には難しい。特に自分が強いという意識があれば。史進に教えることで、私はさまざまなことを学びました。強すぎるほど強い男にしてしまい、史進はその強さゆえに苦しむことになりましたが、弱さがよく理解できる男に成長しました」(6巻p.80)
史進:「俺は、朱武殿の下で働くことになっても、なんのこだわりもない。むしろ、力が出せそうな気がするほどだ」
朱武:「選ばれる人間というのは、いるのだ、史進殿。われらは、史進殿が留守の間も、史進殿を隊長としてきた。史進殿は、これまでも、これからも、われらの隊長なのだ。それは、少華山の兵、全員の意思でもある」(6巻p.87)
林沖:「俺との稽古は、身体にはつらかろう。しかし、心にはつらくない。なんとなく、俺にはそれがわかった。だから、容赦せずに打った」(6巻p.109)
いつの間にか、夜明けが近くなっていた。結論は、なにも出ない。この国を変えるのに、潰した方がいいのか、改革した方がいいのか。それぞれの考え方で、どちらも正しいと言っていいのだ。話は、こういうものでいいのだ、と魯達は思った。(6巻p.129)
叛乱をする側と、抑える側。これはただのめぐり合わせではないのか。絶対に正しいものなど、政事の中にあるはずはない。人は、そこまで賢くはなれない。王安石の新法に基づく国家になっていたとしても、旧法党はいて、どこかで叛乱を起こしただろう。大抵の場合、権力を否定する叛乱側の方に、大義はありそうに見えるものだ。(6巻p.264)
秦明:「いいか、阮小五。戦で勝つと負けるのでは、大きな差がある。大きすぎる差だ。しかし大将の資質を較べれば、小さな差しかない。ほとんど紙一重と言ってよいであろう。あるいは差がなく、運のあるなしが勝敗を左右する。だから、資質で勝つ、資質で負けるということは、あまり考えない方がいい。ただ、人の力でなし得ることはあるぞ」
阮小五:「それは?」
秦明:「決断の速さだ。決めるだけなら、誰でもできるが、自分がこれと思った通りに決断して、後になっても悔いることがない、というふうになれば、相手を凌げる」(6巻p.288)
魏定国:「俺はおまえのことについて、同僚の単廷珪という男と喋った。おまえには、不思議な力がある。放っておくと危険だとさえ、俺や単廷珪は思っている。おまえの力は、放置できんのだ」
魯達:「取り違えるな、魏定国。俺になにか力があるわけではない。俺が呟くのがまっとうなことで、そのまっとうなものに力があるということではないか」
魏定国:「しかしな、俺が牢城に入って、なにか言ったとして」
魯達:「おまえの言うことを、誰が聞く。世の中がつまらん、世間が間違っている、政事が不正だらけだ。そんなことを考えたこともないおまえに、どういう言葉がある?」(7巻p.231)
秦明:「さまざまな名手が、梁山泊にはいる。名手は疎まれて、その技をなかなか生かしきれない。それが、官軍の世界であった」(7巻p.247)
魯達:「俺は、自分の腕の肉を焼いて食らった。それから、こうなった。自分はこの程度の味だと、舌で知ったのだよ。どれだけ生きたところで、そのあたりの樹木ほども生きられない。肉を噛みしめると、そんなこともわかるぞ」(7巻p.251)
宣賛:「若いころ、私は自分が優れていると思いこんでました。ここへ来て、本気で書を読み、わかったのは自分が凡庸でしかなかったということです。日々、凡庸さを噛みしめているのですよ」(7巻p.272)
関勝:「俺は、魯達という男が、賊徒の頭目とどうやり合うのかだけを、見てみたい」
宣賛:「私も、そうです、実は。魯達だけでなく、梁山泊は眺めているだけでも面白いのですよ」(7巻p.292)
しばらく、ひとりで考えていた。どうにもならない、劣勢。そこから、逆に相手を撃ち破っていく快感。その相手が官軍なら、快感はさらに大きくなっていく。
自分のこれまでの人生は、いつも圧倒的に優勢な方に足を置いていた。だから、勝利も、自分自身のものとは思えなかった。(李応)(8巻p.230)
「ひとつの、小さな命をすべてと思える。だからこそ、林沖は英傑でもあり続ける」
「豹子頭林沖、絶対に死なせたくない男なのです、宋江殿」
「人の生死に、余計な思いを紛れこませるな、呉用。林沖も、李キの板斧で首を刎ねられ、頭を鞠のように蹴り回されていた祝一族の者たちも、同じひとつの命なのだ」(8巻p.387)
「そう、明日まで。何日とったところで、大した意味はない。人は、生きているかぎり、別れの積み重ねだ。しかし、再会の喜びも、またあるだろうと思おう」(秦明)(9巻p.181)
「ここは、恥を詰めこんだ洞穴だ。おまえの卑怯なところを、全部詰めこんだ洞穴だ。中にいると、いやな臭いがする。この中で、二日暮らしただけで、私の心は貧しくなった。なにもかもが、ひとり分だ。おまえは、結局、ひとりきりなのだ。ひとりで汲々として生き延び、ひとりで死んでいく。私は同情している。かわいそうな男だ、と思う」(盧俊義→李袞)(9巻p.279)
「ここで、踏ん張るのよ。三日、四日眠らねえから、なんだってんだ。男はよ、語り継がれるようにならなきゃならねえ。わかるか、楊林。あいつはすげえって、みんなに言わせるんだ。いまだけじゃなく、俺たちが老いぼれても、死んでもな」(鄧飛→楊林)(9巻p.365)
魯達は、あまりものを深く考えなかった。
人と出会うのは、はずみのようなものである。出会ってから、その人間になってしばらく考えてみる。気にした方がいい相手なのかどうか、その時にわかるのだ。わかるというより、感じる。その感じを、大事にしていればいいのだ、と思った。
死の淵を歩き、片腕をなくした。死ぬ時は死ぬし、死にたくても行き続ける者もいる。いま生きている自分を見ると、そう思うしかなかった。生かされている、などと大それたことも考えなかった。死ぬまで思ったことをやり、死ねばそれで終わりということだ。(10巻p.171)
宋江「おまえが、荷車を曳いてはいても、思い切って街道を走っていれば、間に合ったのだな。山越えで街道を迂回するなら、荷車がなければ間に合った。どちらかひとつを選べばよかったのに、おまえは二つのことをやってしまった。わかるか。思い切りが足りなかった」
あんたは、なにをしている。張青は、そう言いそうになった。梁山泊から出て戦をすることもなく、死んだ人間を抱きしめ、生きている者には、ただ過酷な要求をする。それが、梁山泊の頂点にいる人間の言いようなのか。魯達が敬愛している人間だから、一応、話だけは聞いているのだ。(10巻p.336)
「戦で死ぬのではなく、むなしく死んでいく。それをやっても、揺るがない心を持った者を、私は必要としていた。これは、晁蓋殿や宋江殿に、知られてもならん。あの二人は、志の高潔さを失ってはならぬのだからな。私と二人だけで、暗殺というものが持つ、背徳に耐えられる心を保てるかどうか。そういう人間を、私は捜していた。そして、おまえを見つけた」
「俺が、暗殺を」
「暗殺をしても、ただ仕事をしただけだと思える男。私は、それを求めていた」
「すぐに、そうかと私は言えません」
「だから、あの岩に座れ、と私は言っている。そうやって、考えられるだけ、考えろと」(公孫勝→樊瑞)(11巻p.79)
「俺は、王進殿に稽古をつけていただきたいのですが」
「やめましょう。索超殿は、充分に強い。強すぎるほどです」
「俺は、自分が弱いと思っています」
「そう思えるだけ、強くなられているのです」
「わかりません」
「わかる必要はありませんよ。あなたにとって大事なのは、これ以上強くなることではなく、その剣を生かせる場所を見つけられるかどうかでしょう」(11巻p.83)
晁蓋が、白い歯を見せて笑った。笑うと、少年のようになる。こういう笑顔は、宋江にはないものだった。はじめてこの笑顔をむけられた時、切なく悲しいものさえ、楽和は感じたのだった。(11巻p.193)
どうしても、嫌いになれなかった。
いや、はじめから好きだった、と言っていいかもしれない。これほどの好悪の感情に包まれたことが、史文恭にはなかった。
そばにいると、それほど晁蓋という男は史文恭を魅了したのだ。いろいろな人間を見てきた。さまざまな人間になりきって、仕事もしてきた。
しかし、晁蓋になりきることはできない。ほんのわずかでも、自分は晁蓋にはなれない。そう思う。どうにもならない光を、体の底から発している。それが照らし出すのは、希望という、史文恭の人生には縁のなかった、不思議な暖かさだった。(11巻p.363)
「俺の心の底の思いを言うとだな、宣賛。どちらでもいい、片方には死んで貰いたかった。ひとりが死んだあとに、そのことに気づいたよ」
宣賛は、魯達を見つめた。
「こわい男だな、おまえ」
「自分でも、それを認めていいような気分だ。人に対する思いは、いつも絶対ではないのだからな」(12巻p.85)
燕青という、長く従者をしていた者が、飛竜軍の一部と力を合わせて助け出した。それだけでも異常なことであるが、燕青は追跡の眼をくらませながら、ひとりで盧俊義を担いで、梁山泊まで運んだのだという。
人間離れした、異様な力が作用したのだ。奇蹟と言ってもいいだろう。理屈を超えたものは、確かに存在している。聞カン章はそれを認め、敵にそういう力が作用した時は、割り切って諦めることにしていた。いつでも、どこでも、そういう力が作用するわけではない。史文恭が、晁蓋の暗殺をなし得たのは、その力がこちらから出たと言ってもいいのだ。(12巻p.272)
すべてが、きれい事で済むはずがなかった。志を掲げてみたところで、人なのだ。事実、三つの城郭には妓楼があり、博打場も作られている。底流には、人の欲がないわけはないのだ。(12巻p.358)
藩金蓮も、土に還った。そしていつか、自分も土に還る。人間が何代も、何十代も、何百代も続き、自分が土に還るのは、ほんのわずかな時の差しかないのだ。だから、志を失わないかぎり、自分は生きているべきなのだろう。そうやって土に還ってこそ、はじめて許されるに違いない。(武松)(13巻p.86)
梁山泊に入ってから、董平は死んだ人間の話をよく聞いた。宋江や盧俊義や呉用がなに気なく喋っていることもあれば、かつて部下だったという兵から聞くこともあった。そういう男たちの話を聞くのが、董平は嫌いではなかった。梁山泊が、なにか強い絆で結ばれている、と感じられるのだ。それは替天行道の志だけではなかった。男と男の友情のようなものが、垣間見えてくる。(13巻p.355)
花栄は、矢をつがえ、弓を引き絞った。
相当の強弓だった。しかし、引けないほどではない。矢に歪みはなく、鏃は研ぎあげてあった。
弓を引き絞ったまま、花栄えは心気を統一した。戦場の兵の姿が見えなくなる。劉高が、ずっと近づいたように、大きくなった。
当たる。それを疑わなかった。それ以外の思念は、もうない。
矢を放った。
戦場を圧するような、すさまじい唸りがあがった。矢が、鎧の上から劉高の胸に突き立ち、鏃が背中に出るのが見えた。
戦場が、しんとした。
しばらくして、味方から歓声があがった。それは、流花塞全体に拡がる。(14巻p.386)
梁山泊のために自分が汚い工作をやることなど、魯達は大して気にしていなかった。むしろ、そういうことをやるために自分はいるのだ、と思っているところがある。
人の命運は、自ら切り開くこともあれば、横から出された他人の手で決まることもある。どちらがいいなどとは、言えはしない。どちらも、命運であることには変わりないのだ。(15巻p.239)
扈三娘の全身に光を当てた。どこにも、下品なところがない。そう思った。さまざまな女を抱いてきた。どこかに、下品だと感じるものがあったものだ。臍の穴まで、上品だと王英は思った。この扈三娘が、自分のものになる。そんなことが、ほんとうにあるのか。(15巻p.354)
楊令「考えさせてください」
魯達「そんな時はやれん。俺には、時がない。おまえに伝えたいことは、山ほどある」
「それは、女というものを知らなければ、わからないことなのですか?」
「わからんな。なにも、女とかぎったことではない。いまのままのおまえなら、なにを話してもわかりはせん。武術には、優れている。頭の中は書見で得た知識で一杯だ。」(17巻p.172)
魯達「俺は、志を抱いて生きた。志のかぎり、生き続けたかった。しかし、ここで倒れることになった。楊令、この無念さがわかるか。俺は、すべてを達観して、おまえと語ったつもりだった。しかし、心の無念さだけは、語らなかった。おまえに、見せようと思ったからだ」(17巻p.371)
皇甫端「おまえが百里風に出会ったように、楊令は雷光と出会ったのだ。おまえ、楊令の成長を喜んでいるのか。それとも、自分の歳を意識させられて、苦々しいのか?」
林冲「喜んでいる」
皇甫端「ならばよい。あと三、四年したら、楊令はおまえのようになり、そしておまえは百里風とともに老いぼれる。そういうものだ」(18巻p.116)
「黙れ、李逵」
呉用が言った瞬間、李逵の体は跳びあがっていた。板斧が、呉用の首筋に当てられている。呉用は、なにが起きたかわからないようで、ただ眼を丸くしていた。
「俺に、もう一遍、黙れと言ってみな。おまえの細首が、胴から離れるぜ」
呉用の体が、ふるえはじめる。
「俺に黙れなんて言って生きてられるのは、小兄貴と宋江様だけだ。忘れるんじゃねえぜ、呉用。それに、戦のこともわかってねえくせに、利いたふうなことはぬかすな」(19巻p.97)
許貫忠「よくぞ、これだけのものを作りあげられた。どれほどの人間の叡智が集まったのであろうと、日々考えておりました。二竜山があり、双頭山があり、流花塞があった。あと二つ、同じものがあったら、宋国を圧倒したのではありませんか?」
呉用「その時は、与えられなかった。与えられると考えるのも、甘さであろう」
「宋江殿も、諦められたのですかな」
「あのお方に、諦めはない。私にない強さを、お持ちだ。闘えるだけ闘おう、と考えられているだろう。それが、戦で死んでいった者たちに対して、唯一できることだと」(19巻p.342)
生きることは、別れの連続だった。
ほんとうの両親と別れたことは、まったく憶えていない。二度目の両親との別れは、心に焼きついている。秦明とも別れた。林冲とも別れた。
子午山で、じっと静かに生きていくべきだったのか。そうしていれば、心に憎しみや憎悪を、これほど抱かなくても済んだのか。
人の世で生きるというには、あまりにも酷いことが多すぎた。人の世で生きることこそまことの生だ、と王進は言った。それは、これほどの黒々としたものに包まれているのが、生という意味なのか。(19巻p.375)