ナ・バ・テア


ナ・バ・テア(森博嗣/中央公論新社)

「スカイ・クロラ」の続編。この巻もまた、独特の乾いた文体で、「スカイ・クロラ」とは別の人物の視点から、戦闘機のパイロットという職業を描いている。
相変わらず、飛行シーンの書き方がスゴい。ほとんど単語の羅列なのだけれど、それは、飛行機のスピード感を表現するための、最も事実に忠実な描写なのだと思う。
このシリーズの空気感は、あまりに独特でリアルで、一度この世界に馴染むと、現実世界以上に、この小説の中のほうが質感を持ってしまうような危うさがある。登場人物や機体の固有名詞も、作品のタイトル名も、この空気感にぴったりと合っていて、どれもいい味を出している。
1作目の「スカイ・クロラ」と微妙に重なり合いながら、それとは別の時間軸と視点によって作品世界を切り取った、この構成はとても素晴らしいと思う。余計なものを削ぎ落として、パイロットと、パイロットが命を預ける機体にのみ焦点を絞り込んで、その存在意義を徹底的に追求している点、ものすごく好みだ。
【名言】
何故かっていうと、人間が作ったものが、空にはほとんど浮かんでいないからだ。汚れた泥水の上に現れる上澄みのように、そこだけが澄んでいる。軽いものしか、存在できないから。少しでも汚れたものは、重くなって、下へ沈んでいくのだろう。(p.85)
パイロットという人種は、常に、最新鋭の飛行機に乗ることを望んでいる。新しい機体は、必ず古いものよりも高性能だ。高性能でなかったら、作られない。新しい飛行機に乗ることは、自分の身体が新しくなるような感覚を伴う。生まれ変わって、今までよりも速くて力強い新しい身体を動かすことができる。こんな楽しさはない。こんな幸せはない。(p.91)
僕が名前を知っている奴では、辻間がいなくなった。インテリ顔の澄ました男だった。いろいろ僕に質問してきたけれど、僕が答えた分はそのまま無駄になってしまった。人間が消えてしまうと、その人間が吸収した情報が、すべて一瞬で無駄になる。こういったことは、動物や植物では多かれ少なかれあることにしても、人間ほど無駄な情報を沢山必要としているように思えてしかたがない。(p.173)
みんな、自分が満足をしたい、自分のエゴを通したいのだ。ただし、そのままの姿では醜いから社会では生きていけない。けれど、ちょっとそれを隠すだけで、たちまちその醜さが善となる。客観的に見れば大差ないことなのに、ある一線から善になる。そういうのが、大人の社会の常識なのだ。(p.177)
そのとおり、パイロットは死ぬ必要はない。
その場その場の勝敗が決すれば、それで良いのだ。
それでも、一つだけ、重要なことを見落としている。
命をかける、という行為だ。これが、空中戦の絶対的な力学であり、大前提となる。チェスやスポーツの試合と違う点は、そこにのみある。
みんな自分のたった一つの命を、飛行機に乗せて、空へ上がってくる。その時点で既に、僕は、敵も味方も、すべてのパイロットを尊敬する。もっともっと上達できるかもしれない、未来にまだまだ可能性がある、そういうパイロットが、運悪く墜ちることがあるだろう。練習というものが事実上できない。一度失敗したら、ゼロになる。ここが、僕たちの仕事の一番の特徴だ。現在では類例がない。滅多にないだろう。
人殺しで、残忍な行為だと、非難されている。それは知っている。充分に理解している。しかし、人間の歴史を見ても、どの世界にも、どの文明にも、同様のスピリットは存在して、そして、どの時代でも、どの歴史でも、それは尊いものだと敬われた。(p.179)
轟音を聞かせてやろう。
狂った連中に。
地上の奴らの知らない音を聞かせてやろう。(p.285)