百寺巡礼 奈良編(五木寛之/講談社)
ジャンルとしては何と呼んでいいのかわからないけれど、こういう紀行文的なエッセイが、「るるぶ」のようなガイドブックに比べて良いところは、詳しい写真がほとんどないところだ。
訪れる寺や、仏像の写真を先に見てしまうと、その印象が強く残り過ぎて、現地を訪れた時には、それを「確認」する作業になってしまう。
この本の中にも引用されている言葉に、柳宗悦の「見て 知りそ 知りて な見そ」という言葉がある。まず最初には、情報ばかりを入れずに、実際に見て感じることが重要なのだろうと思う。
かといって、何の情報も知識もない状態では、そもそもどこに行っていいかもわからない。だから、こういう、文章によってその魅力を表現している本の存在というのは、とてもありがたい。
【名言】
薬師寺にしても、東大寺にしても、法隆寺にしても、当時は学問の府だった。これらの寺では、南都六宗のすべてが研究されていたという。いまで言えば、仏教総合大学みたいなものだろう。そのなかで、薬師寺でもっとも大事にされていたのが法相宗だった。法相宗とは、仏教のなかで非常に奥深くて複雑な「唯識」という思想を研究する学派である。薬師寺は、その唯識という学問を究める寺として知られていた。(p.72)「薬師寺」
「千日聞き流しせよ」
この言葉で、佐伯定胤師はこんなふうなことを言われたのではないか、と私は想像する。仏教とは知識ではない。それは人間から人間は、大事なことは毛穴からしみこんで伝わるものだ。だから、わからなくても、じっと自分の話を聞くがよい、と。(p.161)「法隆寺」
唐が大帝国として東アジアを制覇していく時代、そのなかでの日本は、朝鮮半島の百済と同じような運命をたどって、唐の属国にされるおそれがあった。
飛鳥時代に、その際どいところで、日本という国のアイデンティティを確立しようとしたのが聖徳太子だった。彼は独立国家としての日本を考えて、さまざまな改革をおこなった。
日本の律令政府はかつれ例を見ないような大仏を作り、大仏殿や七重塔を建てた。そこには、日本という国は唐の属国ではない、と声明する強い意志があったのではあるまいか。(p.260)「東大寺」