昨日のように遠い日―少女少年小説選(文藝春秋)
柴田元幸氏の編集による「少女少年小説選」。日本の小説ではなく、海外の小説ばかりを15篇集めた一冊になっている。
「少女少年小説選」とはいっても、これは、少年少女向けの作品ではないと思った。少年少女の視点から描かれた作品ではあっても、これは確実に、大人向けの作品ばかりであると思う。
特に好きだったのは、冒頭の3作品で、「大洋」「ホルボーン亭」「灯台」
これらの作品に共通しているのは、少年期の終わり(Childhood’s End)を示した物語であるということで、もはや少年ではなくなる時期の世界の変化とでもいうべきものを、とても美しく幻想的に表現しているというところだ。
だから、今まさに少年期の只中にある読者には、この小説を読んでも、その意味がわかるはずはなく、離れた時間からその時期を懐かしく回想することによってのみ、物語の表しているものがわかるようになっているのだと思う。
【名言】
突然、ドアのひとつが開いた。その感覚を今でもありありと思い出せる。ふかふかした厚みのある革張りのドアだった。ぼくらの手に応えてすうっと開き、光が見えた。クリスタルのシャンデリアから反射する光。砕け散ってきらめく光。川のようにあふれ出す光。光はぼくらを照らし、ぼくらを包み込んだ。顔を見合わせるとお互いの顔が見えたような気がした。ぼくらはレストランの中にいた。「ホルボーン亭」の中に。(p.20)「ホルボーン亭」
ぼくは、灯台守がそんなにいい子としてぼくを憶えているのを知って、もうそれ以上言わなかった。彼の思い出をこわしたくなかったのだ。ぼくはその頃ちょうど、少年が急にぎこちなくなってきて、二度と取り戻せない何か、若葉のような雰囲気、ある種のみずみずしさ、を失い、いろいろなことが重なって動き一つひとつの優雅さがそこなわれていく時期にさしかかっていた。もちろん自分ではこの変化、このぎこちない時期を見られはしなかったが、灯台守の前に立っていたそのとき、ぼくはもう二度と、ほんとうに二度と、去年のぼくほど「いい子」にはなれないことを感じとったのだ。(p.36)「灯台」
猫は大口をさらに開けて、目を閉じ、ためらう。鼠の死はあらゆる意味で望ましいが、鼠なしの生活は本当に愉しいだろうか?鼠の不在は自分を全面的に満足させるだろうか?時には鼠がいなくて寂しいなどということもありうるだろうか?何らかの、心穏やかでない意味において、自分が鼠を必要としているという可能性はあるだろうか?(p.106)「猫と鼠」