『太陽を創った少年』ギフテッドの子を潰さない教育と環境


(トム・クラインズ/早川書房)

14歳にして自宅のガレージで自前の核融合炉を創ったという、アメリカのアーカンソー州生まれの少年の物語。
核融合は地道で精密な基礎技術の積み重ねの果てにあるもので、余程の知識と経験の蓄積がなければ、やり方を知っていたとしても真似出来るものではない。

この本は、単なる伝記として読むよりも、教育はいかにあるべきかという子育て本として、大きな価値があると思う。

テイラーが、豊かな才能と知能を持ったギフテッドであることは疑いないものの、並外れた好奇心の強さやこだわりの強さがあるために、「ほどほど」ということを知らないので、家族にとっては大変だったことだろうと思う。

たいがいの親は、子どもがいかにやりたいことがあるからといって、それにとことんまで付き合うだけの根気と時間を持ち合わせてはいない。
学校にしても、よほど理解がある少数の学校の例をのぞいては、標準からかけ離れた生徒の個性を伸ばすよりも、標準的なレベルに合わせるように矯正させることがほとんどだろう。

その点で、テイラーはとても幸運な少年だった。
両親は、テイラーが、誕生日にクレーンのおもちゃではなく本物のクレーンが欲しい、と言ったのを受けて、知り合いに頼んで本物のクレーンを運んできてもらったという。

テイラーの興味が、ロケット工学から放射線の実験に移った時も、危険だからとそれを止めるのではなく、安全な実験ができるよう、放射能の専門家を招いてレビューをしてもらうことまでした。

彼は数少ない成功例であるからこそ、こうして自伝的な本まで出版ができたけれども、それはさまざまな幸運が重なった結果だ。

ちょっと気になったのは、14歳の時点で核融合炉を作り、TEDで堂々たる講演をしたところまでの情報は見つかるのだけれど、今はもう20代後半になっているはずの彼のその後が不明であることだ。

「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」を地で行って、結局社会には適合できなかったのかもしれない。
それもまた、巷にありふれた話であるような気がする。

名言

テイラーは異常なほどに好奇心が強く、その対象は次々と移り変わった。ケネスとその妻のティファニーは、長男であるテイラーのそんな好奇心を満たすべく、できる限りのことをしていた。この世に生まれた瞬間から、テイラーは家族の生活のほぼあらゆる面を、複雑で、混乱に満ちた、混沌としたものに変えてしまった。実際にケネスは後日、この日の出来事を、まだあれくらいなら楽だったと振り返ることになる。おそろしく頭の良いテイラーもこのころは、ロケット科学あたりのまだまだシンプルな科学に夢中だったからだ。(p.21)

ティファニーとケネスは、息子の以上なまでの興味を全力で支え、それを実現させたり、後押ししたりしてきた。しかし彼らが相手にしているのは、誕生日に本物のクレーンがほしいと足を踏み鳴らしている5歳児ではない。11歳の原子核物理学者はおそらく、すべてをきちんと理解しているのだろうが、もしそうではなかったから…ときには、親は子どもが嫌がっても、これ以上はだめだという線を引かねばならない。そしてテイラーが、よその分別のある親なら引くであろう線をはるかに越えてしまっていたのは間違いない。(p.133)

私が話を聞いた数多くのギフテッド教育専門家は、ティファニーとケネスのアプローチを、子どもの才能育成の点できわめて的確だったとしている。ふたりの判断は、少なくとも子どもたちが幼いころは、ほぼすべての場面で正しかったようである。テイラーとジョーイの才能に気づいて、それを理解しようとした。子どもたちを急かしたりはせず、味方になって、応援し続けたし、知的な冒険をさせることもいとわなかった。子どもたちが自分の関心を追求し、それを広げていけるように、新しいことを知る機会を与えたり、助言を与えてくれるメンターと引き合わせたりした。(p.143)

ギフテッドの子どもはたいてい、低学年ではかなり順調な学校生活を与えることができる。特に、標準的なカリキュラムの範囲を越えてでも学習の機会を与えようとする、優れた教師にあたったときにはそうなるだろう。しかし中学年に進むと、多様な才能をはぐくむ学校側の能力が破綻し始める。同時に、多くの子どもたちも壁にぶつかるようになる。教師の注意の向けられる先が、授業中に騒ぐ生徒は、ほかの子についていくために特別な手助けが必要な生徒に移ってしまうと、創造的で、才能ある子どもはあっという間に道に迷ってしまう。(p.471)