マシアス・ギリの失脚

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)
マシアス・ギリの失脚(池澤夏樹/新潮社)

太平洋の南洋に浮かぶ、ナビダード共和国という島国を舞台にした物語。
主人公のマシアス・ギリ大統領は、ナビダードで生まれながら、その父親は日本人であり、若い時代を日本で過ごし、ナビダードと日本の属性を半分ずつ持っている。
この物語は、ナビダード的文化と日本的文化の中間的存在であるマシアスの目から見た、ナビダードの変遷の歴史がテーマになっている。
ナビダード共和国は、大航海時代にスペインの航海士によって発見され、19世紀以降の帝国主義や世界大戦に巻き込まれて、アメリカや日本の統治下におかれた。
この島国はもちろん、仮想の国ではあるのだけれど、ここで過去に起こった出来事は、実際にポリネシア・ミクロネシアの諸島国家に起こった史実を下地にしている。
まだ土着の民俗文化が色濃く残る島民に、西洋型の文化や資本主義が流入してきた時にいったいどんな化学反応が起こるのか。
マシアスは島の独裁者ではあるけれども、横暴な支配者ではない。二つの文化の軋轢を一身に引き受けてきた彼には、両方の文化の良い面と悪い面がとてもよくわかっている。そのために生まれる葛藤と悲しみは、彼にしかわからない孤独なものだろうと思う。
この本には、物語としての豊かさを感じる。設定やリサーチがものすごく細かいということもあり、汲めども尽きない井戸のように、どこまでもナビダードという舞台の深くまで入っていけそうな奥行きがある。
話しのテンポはゆっくりとしていて、冗長な部分もたくさんあるのだけれど、そういう部分も含めて、南洋の島国らしい雰囲気にひたれる物語だった。
【名言】
「天皇陛下が立派な方だから、それで日本が優れた国であるのではない。違うんだ」とこの若い合理的帝国主義者は言った。「どんな天皇がいらっしゃっても、その性格や能力や容貌の如何にかかわらず、日本臣民はこれを心から敬愛し、この国に生まれて陛下の慈愛を受けて育ったことへの報恩として、死ぬ気になって働くんだ。大事なのは、陛下のお人柄ゆえに一身を捧げるのではなく、陛下を最上に戴く国家であるからこそ、一番上に陛下という方がいらして束ねておられる、そういう形になっているからこそ、臣民は働く。このような制度そのものが実に優れているんだ。(中略)アメリカには大統領というものがいる。それはそれなりに機能する。しかし、選挙などという人気投票のようなことをして選ばれた者を本当に敬愛の目で見られるか?」(p.113)
独裁者を非難するための論法は世に山ほどある。後になって非難してい者はすればいい。どんな言葉で侮辱されようと、墓をあばかれようと、子孫代々辱められようと、かまわない。それを承知の上で、国というもののために一人が独断で動かなければならない時というのがある。(p.299)
二つの文化の間の距離というのは、個人の人生で学べる限界をはるかに超えて大きいんだ。そう。二つの文化システムを一身に備えるのは不可能に近い。(p.354)
政治家というものの第一の任務はいるべき場所にいることだ。健康な姿で人々の目にさらされることが大事なので、具体的な政策や判断などは二の次でいい。ある意味では消防士と同じ仕事なのである。いるべき時にしかるべき場所にいて待機していなければ失格。(p.371)
一つの意思。どうかな。この世界では、個人はきみが思っているほど個人ではないよ。ここは日本ではないから。生きた者、死んだ者、たくさんの人間の考えや欲望や思いが重なり合って、時には一つの意思のようにふるまうこともある。(p.546)
することなすことのすべてが熟慮から出てくるわけではないということを、彼はずいぶん遅くなってから知った。一瞬にしてわかってしまうこともある。それに身を任せるすべをようやく身につけた。あれはそういう行動だった。いわば彼は賽を振った。(p.591)
知らない土地の上を飛ぶのと違って、親しい土地を上から見るのは心を揺すられるほど懐かしく、切なく、それでいてその風景から隔離されているとい奇妙な寂しさをも覚える不思議な体験である。(p.599)