人を信じていないと、動きはどんどん鈍くなる。

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このところ、自分のスピードが落ちている、と感じていた。
それは何でなんだろうかと考えた時、まわりの様子をうかがうことに時間的、精神的なコストをかけてしまっていたからなんだと気がついた。

たとえば、何かを発信するとき、それによってどういう反応が起こるんだろうかということが気になったりする。
どんなことであれ、何かのアクションを起こせば、それに対する何らかのリアクションが起こる。
100のリアクションの中に、たったひとつでも批判があると、コップの水に垂らされた一滴の墨汁のように、その染みに意識が向いてしまう。
だから、誰からも批判や反感を受けることがない、当たり障りのない表現を探ることに時間をかけてしまう。

でもそれは要するに、人を信じていなかった、ということなのだと思う。
姿の見えない敵を勝手にみずから作り出して、その想像に対して思いをめぐらせて摩耗するというのはバカバカしいことだ。
その挙句に、行動のスピードが落ちたり、動きが止まったりするというのは、更にバカバカしい。

人を信じていれば、余計なことに頭をまわさずに、行動をしながらどんどんと前に進んでいくことが出来る。
そして、ネガティブなリアクションに対しても過剰に反応することなく、自分の糧となるフィードバックを適切に取り込みながら、ますますスピードを上げていくという、良い循環が生まれていくのだと思う。