アーティストの宿命

アーティストの活動は、技術の進歩によって楽にはならない。
映画は、CGの技術が進歩して、昔ではとても作れなかった映像も簡単に作れるようになった。
写真は、デジカメが普及して、フィルムの枚数を気にせずにいくらでも撮れるようになった。
音楽は、シンセサイザーが誰でも使えるぐらいに身近なものになって、一人でも自宅でCDが作れてしまうようになった。
しかし、それらの技術の進歩によって、アーティスト達の活動が楽になったかといえば、まったくそういうことにはなっていない。
今の技術には今の技術での壁があり、それに向かってどこまでクオリティーを高められるかという挑戦をしているという意味では、ギリシア時代やルネサンス時代と、現代はまったく同じ条件だ。技術が向上するということは、またその分だけ、挑戦するべき荒野が新たに生まれるということなのだ。
本当のアーティストは、ぎりぎりまで創造力の限界に挑み続けなければいけない宿命なのだと考えれば、どの時代に生まれようと、どれだけ恵まれた環境にいようと、常に大変だ。
でもそれは、逆に言えば、本当のアーティストは、どんな環境にいても常に新たな楽しみを見出せる人ということなのだと思う。