自分を知るための哲学入門

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)
自分を知るための哲学入門(竹田青嗣/筑摩書房)

入門書として、とても素晴らしい本。
どの分野の学問でもそうだろうけれども、最初に何の手がかりもないまま独力で学ぼうとすると、その全体像も、大きさもわからないまま、闇の中を手探りで進んでいるような状態になり、途方に暮れてしまう。
たいがいの哲学書は、その原著をいきなり読もうとすると、まず間違いなく途中で行き詰ってしまうけれど、そこであきらめて哲学を学ぶことを止めてしまう愚を阻止するように、哲学の概観をとてもわかりやすく説明してくれている。
著者の、「哲学は、自分を知り、よく生きるためのツールにすぎない」というスタンスはとても好きだ。この本では、難しい言葉は一切使わずに、出来る限り誰にでも理解出来るように、古今東西の主要な哲学の全体図が、かなり噛みくだいて書かれている。
この手の本には珍しく、著者の体験に基づいて、自分自身がいかにして哲学の世界に興味を持ったのか、というところから書かれているので、その点でも、かなり興味を持って読める構成だと思う。
本の中で述べられていることは、飽くまでも、入口の部分までの紹介に過ぎないので、本当にその内容を理解するには、やはりいずれは原著を読む必要はあるだろうと思うけれども、そこに行く前に、こういった入門書による解説があるかないかということは、とても大きい。
巻末に付録として掲載された「読書案内」のリストも、とても参考になる。
こういう、よくその分野を熟知している先達の手引きというのは、その内容によっては、時間に換算すると数年分もの価値を与えてくれるものだと思う。
【名言】
哲学に多少興味を覚えるのだがなかなか入っていけないという人には、まずひとりの哲学者の基本問題をしっかり押さえてみることをすすめます。哲学の問題というのは、みなたいていつながっているものだから。(p.19)
わたしの予感のうち、古今の哲学書を読めばいわば「生き方」の「真理」をつかめるのではないか、という予感はみごとに外れた。わたしによく理解できたのは、まず、生き方の最終的な「真理」などというものは原理的に存在しない、ということだった。しかし、その代わりに、哲学が、自分自身に対する自分の了解の仕方を大いに助け、それは生を豊かにするようなものだ、ということもよく受け取れた気がする。つまり、哲学とは、自分を知り自分をよく生かすためのひとつの独自の技術だ、ということが分かったのである。(p.26)
信念の「独我論」を破る条件はただひとつである。それはつまり、自己の信念を他のさまざまな主観のうちに投げ出して、その間で「妥当」を成立させていくプロセスの有無にかかっている。(p.86)
カントは哲学の理論的側面については飛び抜けて優れた人だったが、こと人間的側面については、学級委員をずっとつづけてきた人みたいに人生の機微にうとい所がある。「なにがよいことか」ばかりに頭がいって、それがなぜ簡単に実現しないのかについては深く考えが回らないのだ。(p.170)
現在わたしたちの思想の大勢は、この「認識、思想、主体の死」ということを目新しい言葉で難解に語ることがカッコいいというような奇妙な思潮の中にあるといっていい。だが、それは思想の瑣末なシーンにすぎないのである。思想というものは、いつも必ず根本的で原理的な場所を掘り進んでゆくものだ。もしそれができなければ、しまいに思想的努力の意味そのものが枯渇することになるのだ。(p.228)