『方舟』【このミステリーがすごい】正統派ミステリーにも未踏の地は残されていた

hakobune
『方舟』(夕木 春央/講談社)

本格的なミステリーだった。
反則技のような変化球のトリックは無く、論理的に矛盾が起こらないように、筋道は緻密に構成されている。正統派なミステリー小説だ。

舞台設定としては、地下に閉じ込められた、外界との出入りが不可能な環境で殺人が起こるという、極めてオーソドックスな密室殺人事件。

このような、ミステリー小説の中では既にあらゆるパターンが語り尽くされてしまったような設定で、今さら新しい驚きを提供することが出来るのか?と思いきや、それが出来てしまった。
その、本格的でありながら、過去に存在しなかったパターンを成立させたところが、この小説のスゴいところだ。

タイトルの『方舟』が意味するものは、「生き残るべき生命の選別」ということなんだろう。全滅を免れるためには、誰かが犠牲にならなければならない。
その時に生存する種を、誰が、どのような基準で選ぶべきなのか。
そういう、ちょっと倫理的・哲学的な問いが、話のテーマの中には含まれている。

これは、典型的なトロッコ問題だと言ってもいい。
誰かが死ななければならないのだとしたら、死者の数が最小になる解決策や、生存者の平均年齢が若くなる解決策がベターである、といった、「命の重み付け」をする行為。

絶対的に正しい解決策というものはなく、納得感が多少はマシになる方法があるだけだ。

登場人物の一人が語った言葉、「映画なんかでは、こういう時、家族や子どもを持った者を生き長らえさせるために、家族や身寄りを持たない者がみずから犠牲になるけれども、それは、愛すべき人を持っていない人間への差別ではないか。」という言葉は、ちょっと意味深だ。

以下、ネタバレあり感想

柊一は、常識のある好人物として描かれていて、自己イメージとしても、そういうアイデンティティーを持っていたのだろうけれど、結局、自己保身のためにあっさりとマイを切り捨てたために、逆に自分のほうがあっさりと切り捨てられてしまった。

そこは、因果応報を感じさせて、ちょっと痛快な終わり方でもあった。

そして、最初から終盤まで、ノーミスで完璧な推理とクールな態度を見せていた翔太郎が、最終的には当て馬になって撃沈するというのは笑える。

論理的な推理で、理詰めで真犯人を突き止めたと思わせておきながら、そのすべてが、実は麻衣の手のひらの上で転がされて、誘導されていただけだったという衝撃。

一見すると、このままシリーズ化もできそうな理知的な探偵キャラクターを作り上げておきながら、それは虚像だったというところが、最大のどんでん返しだったと思う。

ただ、一人が犠牲になることが地下からの脱出の条件、という前提を作っている、大岩の仕掛けは構造がよくわからなかった。
よほど、岩がぴったりのサイズで通路が完全にふさがれれば、内側の人は閉じ込められてしまうのだろうけれど、人間一人が抜けられるぐらいの隙間はあるんじゃないの?という気がしてしまう。

あと、そもそも、非常口のほうが通行できることがわかった時点で、誰か一人が外に救助を求めに出て、1週間の猶予の間に助けを呼んで戻れば、それが最善だろうとも思った。

まあ、そこは推理小説を成立させるための前提条件の部分だから、あまり深く追求する部分ではないのだろうけれど、そういうリアリティーの面では、ところどころ現実味がないところはあった。

けれど、ミステリーの本筋の部分では充分な構成だったし、想像を超える結末で、読み応えのある内容の作品だった。