フューチャリスト宣言

フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)
フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎/筑摩書房)

梅田望夫・茂木健一郎という組み合わせがまず良い。どちらも、独自の視点と思想を持って、それを言葉で表現するのが上手い人なので、その二人の対談となると、相乗効果で、更に面白い話しになってくる。これは組み合わせの妙であると思う。
大筋のテーマはありながら、その場その場で、思わぬ方向に話しが飛んだり、まったく新しい視点からコメントがあったりして、読んでいてとても臨場感があった。一人の人が論文調に書く話しは、まとまっていてわかりやすいという利点はあるけれども、対談形式にもまた、意外な展開に進んでいくライブ感を味わえる利点があるのだと思った。
【名言】
インターネットは、かつてない自由な可能性を秘めた学びの場である。ネットは、たとえ入試に落ちても、学校という「クラブ」に属さなくても、カントの古典的な著作をドイツ語で読んだり、出版されたばかりの宇宙論の論文を読む機会を与えてくれる、古典的な成果から最先端の知見まで、様々なことを検索し、多くの場合、無料で学ぶことができる場がインターネット上に出現している。いまや、世界の最高学府は「東京大学」でも「ハーバード大学」でもない。それは、ネット上に存在するのである。(茂木)(p.14)
ITの世界には昔からずっと、こういう何かの芽は大きな筋として正しければかならず育つんだという確信がある。日本には存在しない感覚であり、それが良き大人の態度なんです。筋が良いけれどまだ小さい芽に対して、欠点をあげつらって近視眼的に叩くようなことを言えば、言っているとき少し利口に見えます。でもいずれ必ずしっぺ返しを喰う。(梅田)(p.48)
僕は、インターネット時代には、逆説的ですが、古典的な教養というものが、復活するんじゃないかという気がしています。総合的な視座が求められる世になるから、かえって、それこそ孔子だとかゲーテだとか、総合的な知を実現した人たちに関心が再び向かうだろうというのが僕の直感です。(茂木)(p.148)
私たちはいま、時代の大きな変わり目を生きている。それは、同時代の権威に認められるからという理由だけで何かをしても、未来から見て全くナンセンスなことに時間を費やし一生を終えるリスクを負っている、ということだ。(梅田)(p.207)