大いなる遺産

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大いなる遺産 上下巻(ディケンズ/新潮社)

もはや古典に属する小説なので、あまり派手な内容は期待していなかったのだけれど、予想に反して、ものすごくドラマチックな物語だった。
主人公が、とても気まぐれで、調子に乗りやすく、小悪党的な弱さがあるというところがまた意外で、斬新だ。他の登場人物も、かなりクセのあるキャラが多くて、しかも、割合としてはイヤなやつのほうが多い。
この小説の魅力は、人の考え方や性格が、環境によって影響を受けて変わっていくという、その移ろいやすさと不思議さにあるのだろうと思う。逆境を経験して、飛躍的に成長することもあれば、その逆に、大きく堕落することもある。そして、失ってはじめて学ぶことが出来ることも、多くある。
主人公は、特に周りに流されやすい性格をしていて、ものすごく小さなことで一喜一憂する、とてもわかりやすい人物なので、その点、感情移入しやすいというのも、話しに入りやすいところだと思う。
物語は、2箇所で大きな展開を迎えることになる。
一つは、貧しい少年ピップが「大いなる遺産」を受け取ることになる時、もう一つは、その「大いなる遺産」が誰から与えられたものであるかが判明する時で、このダイナミックな転換が、この小説の一番の見どころだと思う。
それまでの伏線や、下ごしらえの部分が長いので、前半はちょっと平坦なのだけれど、後半は一気に面白くなってくる。
終わり方が、とにかく良かった。ハッピーエンドやバッドエンドというような、単純に割り切れるような幕切れではなく、それぞれが、それぞれの落ち着くべき場所にたどり着いたというような感じのまとまり方で、そして、それからもそれぞれの物語は続いていくという余韻が残る、見事な締めくくりだった。
【名言】
四マイルある道をわが鍛冶場にむかって出かけた。そして、道々、きょう見たいろんなことを考え、自分はつまらない労働者の子供だということ、自分の手がざらざらしていること、自分の靴が厚いどた靴だということ、自分は兵隊をジャックだなんていういやしい癖がついているということ、自分はゆうべ考えたよりはるかに無知だということ、そして、つまり自分は、下等な、いやらしい生活をしているのだということを、つくづく考えた。(上巻p.107)
わたしが逃げ出して、兵隊か水兵にならなかったのは、わたしが誠実だったためではなくて、ジョーが誠実だったためである。わたしが気にそまぬながらも、かなり熱心に仕事をやったのも、わたしに強烈に勤勉の美徳がそなわっていたからではなく、ジョーに強烈な勤勉の美徳がそなわっていたためである。やさしくて正直な心をもつ、義務に忠実な人間の感化というものが、世のなかにどのくらいひろがってゆくものか、それを知ることはできない。だが、通りすがりにその力が自分の魂にふれたことを知ることは、大いに可能である。もしもわたしの年季奉公のうちに、なにかの美点がまじりこんでいたとすれば、それはすべてぼくとつな、満足しきったジョーから生まれたものであって、落着きもなく、野心に燃えて、不満ばかりいだいていたわたしから生まれたものではなかった、ということを、わたしはよく知っている。(上巻p.175)
ジョーは、まるで女のようにやさしく片手をわたしの肩にかけた。その後わたしは彼のことを、力とやさしさをかねそなえていて、男ひとりをたたきつぶすこともできれば、卵の殻をそっとさすることもできる、蒸気槌のようだと、なんども思った。「ピップが勤めから解かれて、名誉と幸運をえるために出かけることは、とても口にはいわれんほど、心底から嬉しいことです。ですが、この可愛い子を、わたしの鍛冶場へきてくれた、わたしのいちばんの親友をなくするわたしの気持ちを、お金で償うことができるなどと、もしあんたがお考えになるんなら」
おお、なつかしい、なつかしいジョー、ぼくはあんたをこんなにも平気で捨てさろうとしているのに!こんなにも恩知らずになろうとしているのに!(上巻p.232)
教会を通りすぎたとき、わたしは一生のあいだ、くる日曜日もくる日曜日もここへきて、ついには名もなく低い緑の塚の下によこたわらねばならぬ運命をもった、哀れなひとびとにたいし、崇高な惻隠の情を感じた。わたしは、近いうちに彼らのためになにかしてやろうと、心のうちで誓った。そして、村人たちに、ロースト・ビーフと、プラム・プディングと、強ビール三合と、それから謙譲の美徳一ガロンを、ひとりのこらずふるまってやろうという、計画の荒筋を立ててみた。(上巻p.241)
「おまえとわしは、ロンドンでいっしょになるべきもんじゃないんだ。ロンドンばかりじゃない。うちうちで、よくわかりあって、友だち同士理解できるところのほかは、どこだっていけないんだ。わしはなにもいばってるわけじゃない。ただ正しくなりたいと思ってるだけだ。そして、わしはこんな服を来て二度とおまえにお目にかかりはしないだろう。わしが、こんな服を着るのはまちがっている。わしが鍛冶場から離れたり、台所から離れたり、いや、沼地から離れるのは、まちがっている。もしわしが仕事着を来て、槌を、いやパイプでもいい、手にもっていたら、おまえはわしにこの半分も落ち度を見つけはしないだろう。」(上巻p.363)
おお、きてくれたりなどしなかったら、よかったのに!わたしをあの鍛冶場にそっとしておいてくれたら、よかったのに。たとえ満足はしなかったとしても、これにくらべたら幸福だったのに!(下巻p.142)
「一週間もすれば、わたしのことなんか、あなたの心から忘れてしまいますよ」
「ぼくの心から!あんたはぼくの存在の一部分になっているのだ。ぼく自身の一部分になっているのだ。粗野な、下等な少年だったぼくが、はじめてここへやってきたとき以来、あんたはぼくが読むものの、一行一行のなかにいたのだ。あんたは、あれ以来ぼくが見た、あらゆる風景のうちに、川の上にも、船の帆の上にも、沼地にも、雲のなかにも、明るいところにも、暗闇のなかにも、風のなかにも、林にも、海にも、街路にも、いたるところにいたのだ。あんたは、ぼくの心がかつて知りえたありとあらゆる優雅な幻の権化だったのだ。エステラ、ぼくの生涯の最後の一刻にいたるまで、あんたは依然としてぼくの人格の一部であり、ぼくのもっているささやかな善の一部であり、悪の一部であるだろう。だが、いまこうしてお別れするにあたって、ぼくはあんたをただその善とだけむすびつけ、またいつも忠実にあんたをそれとむすびつけているだろう。なぜなら、いまぼくがどんなに血を吐くような悲痛な思いがしようとも、あんたはやはりぼくを傷つけるよりも、はるかに多くの善をぼくにあたえてくれたにちがいないんだから。」(下巻p.219)
マグウィッチとならんで腰をおろしたとき、わたしはこここそ、彼が生きているかぎり、今後わたしが占める場所なのだと感じた。
というのは、彼にたいする嫌悪の情は、いまはあとかたもなく消え去ってしまっていたからであり、そしてわたしは、いまわたしの手を握っている、この狩りたてられ、傷つけられ、枷まではめられた男のうちに、ただただ、わたしの恩恵者となろうと考えてくれた人間、何年ものあいだ、わたしにたいしてすこしもかわらぬ愛情と感謝と寛容をいだいていてくれた人間だけを見たからである。わたしは彼のうちに、わたしがジョーにたいするよりもはるかに善良な人間を、ただそれだけを、見たのだった。(下巻p.366)
「じゃ、それでよし」と、ジョーはまるでわたしが返事をしたかのようにいった。「それでけっこうだ。そうきまったんだ。とすれば、なんだってまたわしたちみたいな親友の間に、永久に必要でもない話なんかはじめようとするんだい、ピップ?わしたちのような親友のあいだにゃ、必要もないことを話さなくたって、話すことはいくらでもあるんだ。」(下巻p.406)
「二階へあがって、ぼくの昔の小さな部屋を見ながら、ちょっとの間ひとりでいさせてくれ。それから、ぼくがあんたたちといっしょに食事をいただいたら、さようならをいうまえに、なつかしいジョーとビディ、どうかあの道標のあるところまでいっしょに見おくっておくれ!」(下巻p.428)
わたしはエステラの手をとった。そして、いっしょに廃墟の屋敷跡をでた。ずっと昔、わたしがはじめて鍛冶場をあとにしたとき、朝霧がはれかけていたように、いまは夕霧がはれかけていた。そして、はれわたる夕霧とともに、ひろびろと果てしなくひろがる静かな月明かりのうちには、彼女との二度の別離の陰影はすこしも見えなかった。(下巻p.436)