シンクロニシティ(ジョセフ・ジャウォースキー/英治出版)
筆者自身の自伝的物語という性質を持った本であったために、導入部分からして、とても共感しやすく、面白い話しだった。
アメリカのエグゼクティブを絵に描いたような典型的な成功から、突然の離婚による転落。しかし、そこから人生の使命に目覚めて、目に見えない大きな力(シンクロニシティー)によってつき動かされていくという、まるで一編の映画のようなストーリーだ。
ただ、ちょっと穿った見方をすれば、この自伝の中には、思い出を都合良く美化した部分も大いにあるだろうと思うし、事実の解釈がポジティブに過ぎて中立な視点ではないと思えるところも多々ある。
しかしそれでも、掛け値なしで素晴らしいと思うのは、筆者ジョセフ・ジャウォースキーの、何かを思い立った時の驚くほどの行動力だ。直感に従って、ひらめいたことを実行に移す鮮やかな動きは、必ずその後に大きな結果へと結びついている。
本の中では、その、人生にふいに訪れるチャンスのことを「一立方センチメートルの好機」と表現しているけれど、その感覚はとてもよくわかる。
村上春樹は、ただこのことだけをひたすらに小説の中で言い続けているように思うし、実際、この「一立方センチメートルの好機」については、自分の人生において、もっと意識的になるべきなんだろうと思う。
この本で繰り返し述べられている、「すべての物事はつながっている」という基本概念は、まだ科学的に何ら実証されたものではないので、最終的には「それを信じるか、信じないか」という、個人の問題に帰結することになる。
しかし、実証はされていないとはいえ、心をオープンにして大きな流れに身をゆだねた時に物事はうまくいきやすい、というのは、直感的にそういうものなのだろうと、自分も思う。
この本に書かれていた多くの事例を記憶の片隅に置いておくだけでも、今後、気持ちのありようは大きく変わっていくような気がしている。
【名言】
そうした出来事は後に、「新しい状況を生み出そうとして手段を講じるとうまくいかない」ことを心に刻むしるしのようなものになった。たしかに、この世を可能性に満ちたものと考え、ものの見方を「あきらめ」から「可能性」へ移すのは重要だ。しかし、宇宙というつながり合う世界に足を踏み入れようと思うなら、私たちは人生を支配しようとするのではなく、むしろ人生の流れに身をまかせなければならない。前にも述べたが、かつての私は正反対のことをしてばかりだった。(p.65)
誰かのためにただそこにいて、その人の話に耳を傾けることは、リーダーが持つべき重要な能力の一つである。それによって、その人は自分の考えを表現できるようになり、自分の中にある最良のものが引き出されることになる。もし誰かがその人が思っていることを話すのを真剣に聞いてくれたら、その人の感情はたしかな形と方向性を与えられ、その人は行動を起こせるようになる。(p.102)
われわれはみな、戦士であろうとなかろうと、一立方センチメートルの好機を待っている。それは、われわれの前にときおり、ふいに現れる好機である。並みの人間と戦士との違いは、戦士はこの好機に気がつくということだ。するべきことの一つとして、戦士は神経を研ぎすませ、細心の注意を払って待っている。そして、自分にとっての一立方センチメートルの好機がふいに現れたとき、必要なだけの速度と決断力をもってそれをつかむのである。-カルロス・カスタネダ(p.130)
私はずっと、私たちは世界を「描写する」ために言葉を使うと思っていたが、どうやらそうではないらしかった。実際は逆で、言葉を使うことによって私たちは世界を「創る」。言葉は私たちが表現するまではこの世に存在しないも同然だからである。言葉を述べると、私たちは区別を生みだし、それが行動を決定する。別の言い方をすれば、私たちは目にする世界を言葉にするのではなく、言葉にする世界を目にするのである。(p.269)
【書評による対話】
『多苗氏との対話』
多苗尚志のヘヴンズドアァァァァッッッより
(彼のコメント)
またなんだか、とんでもない本なのである。
これはスゴイ。
またスゴイ。
問題提起はここだ。
『ナチスドイツによるユダヤ人虐殺、日本軍による南京大虐殺…。かような悲劇はなぜ起きてしまったのか。
第二次大戦にヒモ解くまでもなくそれ以前にもそして今日もまた同じ原理による悲劇は繰り返されている。
あれはどこか遠い国、遠い時代、遠い人々が起こした出来事だろうか。
私たち、まさに私が同じ轍を踏まないという保障はどこにあるのか。』
本書はこの問いに対して明確に解答を導いている。
タイトルはズレている気がする。
確かにシンクロニシティは本書で大きなキーとなっているのだが…。
いや、しかし、シンクロニシティ以外にも多様に絡み合い考察するポイント満載の書。
近いうちに読み返したい。
多苗的評価(★5つが最大)★★★★★
(水晶堂送辞)
タイトルは、確かに、本の内容をズバリ言い表していないというもどかしさがあるね。
ユングの「シンクロニシティ」をイメージしてしまうと、実際にはまったく違うポイント満載なので、このタイトルによって読者を取り逃がして損してるところがあると思う。
オレも、読み始めるまでは、こういう内容だとは全然思わなかった。
結果としては、良い方向に裏切られることになった。
『藤沢氏との対話』
藤沢烈BLOGより
(彼のコメント)
今から12年前、私が19歳だった頃。日本中を全国行脚し、活躍し始めている同世代にインタビューを行いました。行動を共にした渡辺エイジと話していたキーワードが「シンクロニシティ」と「共有体験」。どこに行っても誰と会っても、「似た感覚」「熱い何か」が感じられて、「シンクロした」がキーワードでした。その頃20歳の自分達が社会をすぐに変えると思えず、今のうち「共有体験」を積んでおく。すると将来若いうちに繋がった自分達が、何かコトを起こせる・・。そのように考えていました。
ただ今思うに、共有体験やシンクロニシティを自分達で生み出そうとしたことに、若い傲慢があったのでしょう。いつしか繋がりは消え、シンクロニシティも生まれず、個々人の「仕事」や「キャリア」に埋没するようになります。
『出現する未来』の共著者でもあるジャウォースキー氏がシンクロニシティを体感したのは、ローファームで成功と富を得た後、離婚をきっかけとして自分を見つめ直した頃。30代後半頃でしょうか。私自身は12年を経て、また、あるいはまだ、シンクロニシティを体感しつつあります。
(水晶堂送辞)
烈の、実体験をベースにした共感は説得力あるな。しかも19歳にして!
この「シンクロニシティ」の感覚は、科学的説明をしようがないものなので、実際、体験する以外には理解する手段はないんだろうと思う。オレもこれから、ジャウォースキー氏が言うような感覚を、理屈だけではなく、体感として理解出来ればいいと思ってるよ。