不良のタオ


不良のタオ(安部英樹/講談社)

タオ(道教)をテーマにした本なのだけれど、著者が台湾で師と出会い、タオの道に入るまでの、来歴がかなり面白い。高校生の時に群馬県の総番になり、学校を退学になった後、ヤクザや右翼活動にたずさわり、台湾の裏社会に根を張ったのだという。
著者は、タオの道とはもっとも離れた世界で生きていたような人であるのだけれど、親鸞の悪人正機説と同じ理屈で、そういう人であったからこそ、タオの本質を最も理解しやすかったのだろうという気もする。
もともと根性があるというだけでなく、カイロやアメリカに留学して語学を勉強して、現地で生活が出来ているのだから、とにかく努力家の人なのだと思う。台湾であらゆる占術を学んだり、「孫子」や心理学を独学で勉強したという、有能な人でもあると思うのだけれど、「頭がいいということは最悪なことだ」と、この本に出てくる卓師父に一蹴されてしまう。
タオというのは、不思議な世界だ。あらゆることを、今の世の中の常識とは逆の観点から見ている。「強くなるのではなく、弱くなれ」「受け身になれ」「役に立つ人間になるな」「学問をするな」と教える。
卓師父は、毎晩浴びるほどブランデーを飲み、一番強いタバコを日に何箱も吸う。宗教家というイメージとはだいぶ異なるけれども、それでも、台湾政府の高官や軍の最高指導者など、多くの人が毎日、この師に会うために山奥の山荘に訪れてくる。
そこで語られる、世間の日常と隔絶したタオの教えは、理屈を通りこして魅力的だ。独特な来歴と個性を持った、この著者にしか書けない、とても面白い本だと思った。
【名言】
俺がこの瀕死の状態に追い込まれた最大の原因は、なんといっても学問をしたことに尽きるだろう。学問をしてよけいな知識をもったことによって、俺はいつしか自然なタオから逸脱し、道なき広野をさ迷った挙句、もう、にっちもさっちもいかない精神の土壇場まで踏み込んでしまい、そこで瀕死の状態で呻いていたのだ。(p.61)
人間は原理原則だけを知っていればよく、そこから派生するモノに心を奪われると、やがて道に迷ってしまう。なぜならば、それらは留まることなく変化し続ける万華鏡のようなモノだからだ。こんなモノといつまでも付き合っていたら、やがて俺のように道に迷って必ず死地に追い込まれることは必定だ。(p.67)
心がここにあれば、家のなかにいても天下の情勢はわかるものだ。
心がここにあれば、窓の陰にいても、世の中の動きがわかるものだ。
だから、心が家を離れると、遠くにいくほどにわからなくなる。
だからタオと一体な人は、行かなくても知っているし、
また見ようとしなくても、明らかに見えるし、
何もしなくても、物ごとが自然と成功するのだ。(p.127)
人は、孤立や孤独や不幸を毛嫌いするが、タオを学ぶ者は、決してこれを毛嫌いなどはしないぞ。
なぜなら、物ごとというものは、ある時は増して、ある時は減って、また増して、また減るようなもので、いわば、どっちつかずなものだからだ。(p.195)