『コード・ブレーカー』スリリングな奇跡の連続である遺伝子科学の最先端


『コード・ブレーカー』(ウォルター・アイザックソン/文藝春秋)

世紀の大発見である、遺伝子編集技術「CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)」と、その主要研究者の一人、ジェニファー・ダウドナを中心に、遺伝子解読をめぐるストーリーを追ったノンフィクション。

著者のウォルター・アイザックソンはベストセラー『スティーブ・ジョブズ』を著した人で、前作がスティーブ・ジョブズという人物の特徴や個性がとてもよく伝わってくる面白い本だったので、この『コード・ブレーカー』もとても楽しみに読んだ。

ある一人の人物を、その生い立ちや環境、交友関係まで調べ上げて、立体的に描き出すのが特徴で、今作も、事実をベースにした話でありながら、一編の小説を読んでいるような、波乱万丈の物語になっていた。

「遺伝子解読」というのは、もうそれだけで人々のロマンをかきたてるに充分な題材だ。
『ジュラシック・パーク』のように、遺伝子さえ残っていれば、絶滅した古代の恐竜を復活させることも夢物語ではないし、自分たち人類自体さえ、遺伝子を編集することで、人工的に、まったく別の生物に進化させられる可能性もある。

ほんの少し前までは謎に包まれていた進化の仕組みや、遺伝子の構造が、研究者同士の競争によって、ものすごいスピードで解明されていき、そしてついに、「CRISPR-Cas9」の発見によって、まったく別の次元に突入してしまった。

最先端の分野であるがために、競争も熾烈で、研究内容を秘密にしたり、出し抜いて先に論文として発表しようとしたり、かなりドロドロとした駆け引きも当たり前の世界だということが、この本から伝わってくる。

そういう世界の中にあって、ダウドナ博士は、数少ない女性科学者ということもあってか、フェアな情報共有をモットーとするような、爽やかな人物というイメージで描かれている。

それとは逆に、明確な悪役として登場しているのが、タブーとされてきた生殖細胞遺伝子の編集をおこなって、生まれてくる赤ちゃんの遺伝子を操作し、世界初の「クリスパー・ベビー」を世に送り出した中国人研究者、フー・ジェンクイだ。

それは、技術的に可能であることはわかっていても、本能的に、超えてはいけない一線であると、世界中の科学者が感じていたラインだった。
それだけに、モラルに欠けた一人の人間によって、いわば抜け駆けのようにしてクリスパー・ベビーが現実に生み出されてしまった時の、界隈の衝撃や、怒り、好奇心、といった騒動が書かれたあたりは、とてもスリリングだった。

遺伝子にまつわる物語が、さらにエキサイティングなのは、コロナウイルスが世界中で猛威をふるったその時に、まさにメッセンジャーRNAが遺伝子分野の最先端として研究されていたことだ。
その奇跡のようなタイミングのおかげで、世界中で求められていた新型ワクチンが即座に世に送り出された。

そのような圧倒的なスピードで開発を進めるには、それまでの閉塞的で秘密的な研究組織をオープンな体制に切り替える必要があったけれども、それをまとめるのにうってつけの求心力と実績とを併せ持った、ダウドナという人物がいたことは、これもまた奇跡的な巡り合せだったと思う。

ダウドナ博士がノーベル賞を受賞した直後に発刊された、とてもタイムリーで、ドラマチックな本だった。

名言

この惑星に生命が誕生したのとほぼ同じ頃から、最近とウイルスは激しい軍拡競争を繰り広げてきた。最近はウイルスへの対抗策を巧みにつくりあげ、一方ウイルスは、細菌の防御を崩す方法を探して、進化しつづけてきたのだ。(上巻p.111)

チャンはマーク・ザッカーバーグと同時期にハーバードにいた。最終的に彼らのどちらが世界により大きな影響を与えるか、という問いには興味をそそられる。その答えは、デジタル革命と生命科学革命のどちらがより重要かという、未来の歴史家が突きつける問いの答えにもなるだろう。(上巻p.219)

偉大な発見や発明の中には、アインシュタインの相対性理論やベル研究所でのトランジスタの発明のように単独で進展したものもあるが、マイクロチップの発明のように多くのグループがほぼ同時に達成したものもある。クリスパーのヒト細胞編集への応用は明らかに後者だ。(上巻p.264)

「論文の大半はダウドナの教え子が書いたのに、あの本は一人称で書かれていた」とシャルパンティエは言う。「スタインバーグは、三人称で書くよう指示されるべきだった。わたしは賞を授与する人々を知っているし、スウェーデン人の気質も理解している。彼らは時期尚早な本を書く人を好まないわ」。「賞」と「スウェーデン人」という言葉を続けて語ることで彼女が示唆したのは、あらゆる賞の中で最も有名な賞のことだった。(上巻p.286)

生存能力のない胚のゲノムを編集する実験がすでに中国で行われているという噂についても語られた。核兵器の製造と違って、その技術は容易に広まり、責任ある研究者だけでなく、ならず者の医者やバイオハッカーも使うことができる。「わたしたちは本当に魔人をランプの中に戻すことができるだろうか?」と、参加者の一人は尋ねた。(下巻p.69)

「彼の話は特に印象に残らなかった」と、ダウドナは言う。「彼は人に会うことに熱心で、それなりに受け入れられていたが、重要な論文は一つも発表していなかったし、重要な研究をしているようにも見えなかった」。ジェンクイがダウドナに、客室研究員として研究室に入れてもらえないか、と尋ねた時、彼女はその厚かましさに驚いた。「わたしは話をそらした」と、彼女は言う。「まったく興味がなかったから」。ダウドナやそのワークショップに参加した他の人々を驚かせたのは、胚に遺伝性のゲノム編集を施すことに付随する倫理的問題を、彼が少しも気にかけていないように見えたことだった。(下巻p.88)

体細胞編集は、血液、筋肉、眼などの、特定の種類の細胞で行うことができる。しかし、高額な費用がかかるものの、効果はすべての細胞に及ぶわけではなく、おそらく永続的でもない。一方、生殖細胞系列のゲノム編集は、身体のすべての細胞のDNAを修正できる。そのため、寄せられる期待は大きいが、予想される危険も大きい。(下巻p.136)

「ウイルスにとっては不運な日になった」と、モデルナの会長アフェヤンは、臨床試験の結果を知らされた2020年11月の日曜日について語る。「人類の技術にできることとウイルスにできることの進化的バランスが突然変わったのだ。もう二度とパンデミックは起きないかもしれない」。(下巻p.278)

わたしの世代は、パーソナル・コンピューターとウェブに夢中になり、自分の子どもにプログラミングのコードの書き方を学ばせた。しかしこれからの子どもたちは生命のコードを理解する必要があるだろう。(下巻p.317)