千年の愉楽


千年の愉楽(中上健次/河出書房新社)

独自の、確固とした世界観を持った、圧倒的な物語だった。
倫理も法も縁のないような埒外の世界には、人ならぬ者が決めたような、自然のままに出来上がる秩序のようなものがある。
その路地で子供が産まれる都度、産婆として一人一人をとり上げてきたオリュウノオバからは、何世代もの時の移り変わりによって自ずと形成される、「血」としか言い様がない宿業のようなものが見えるのだろうと思う。
その、逃れようのない連続した生命の流れを俯瞰しているような視点は、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に似たものを感じた。しかし、片方はこの業を「孤独」ととらえて、もう片方は「愉楽」と名づけている。
古代ギリシャの神々や、日本古来の神々が、倫理を超えてただ在るがままに在ったように、この物語の中の人々というのは、人間というよりももっと原始的な存在に近い。この、あまりにも混沌とした猥雑さと生命力を悦びと考えるのは、とても日本的なおおらかさである気がする。
この、ある面では放恣に過ぎる俗世事を神話のように昇華させているのは、やはり語り部としてのオリュウノオバの存在が大きい。銀河鉄道に乗るメーテルのように、時を超越して全体を見渡す視点があってこそ、若さも愚かさも美しいと思える。
文章は、なんだか込み入っていて、主述の関係もよくわからないし、読みにくくはあるのだけれど、それが気にならないぐらい、語られる内容そのものに力がある。素晴らしい小説だと思う。
【名言】
オリュウノオバは人の家に上がり込み物を盗る事はさして難しい事でもないがそれをする必要もないからやらないのだと三好に言ってやりたい気がしてむずむずし、どうせこの世がうたかたの夢で自分ひとりどこまでも自由だと思っても御釈迦様の手のひらに乗っているものなら何をやって暮らしてもよいと言いたかった。(p.62)
赤ん坊は決して虫と同じものではないが、生命は水たまりにわいてくるボウフラのようになんの大仰な手続きもなく甘い香りを放つ白い夏芙蓉の一夜の夢のような路地の中に次々とわき出し、その度にこれが食うこともかなわぬ親たちによって昔の事ならつかの間の明りを見ただけで闇にもどされたのだと思い、何よりも手足を振って泣く赤ん坊そのものが貴い小さい仏の化身のような気がし、虫のようにわく生命そのものが有難いものだとオリュウノオバは手を合わせたかった。(p.62)
オリエントの康はまた空想癖が出たようにここは蓮池の上に出来た土地で、どこかで眠る人間の一瞬の夢のようなところだと花恵に向かって言って、痛みが体中をしびれさせているのに花恵を胸に抱きよせ、花の蜜のように血が包帯から滲み出していると驚き、外から肥った姉の声がし女らが声を殺してわらうのを聴き、犬らの群が路地の辻を駆けめぐる音がする。(p.174)

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