Op.ローズダスト 上中下巻(福井晴敏/文藝春秋)
このスケールと臨場感はものすごい。
臨海副都心を舞台にしたテロや、核爆弾に匹敵する威力を持った秘密兵器、北朝鮮やアメリカとの複雑にもつれあった国際政治、など、かなり壮大な設定になっている。
これだけ広範な分野にわたる物語を、並みの小説家が書いたら、ただのチャチな空想話しで終わってしまうんだろうけれど、福井晴敏氏が書くと、圧倒的な現実味をもって、実際にありそうな話しとして伝わってくる。
この小説では、戦後の日本がたどってきた思想的な道筋と、現在の政治・軍事的ポジション、これから日本がとるべき将来像、などについて、一般論を交えながら、筆者の意見が登場人物の口を借りて表現されている。
この点だけでも、日本という国が21世紀に入った現在においてどういう状態にあるのかということがよくわかり、とてもタメになる本だった。
設定や描写の細かさは、村上龍氏の「半島を出よ」と似たところがあるけれど、こちらの作品のほうがより、思いっきりエンターテイメント寄りに振り切れている感じがする。
ずばぬけて身体能力の高い工作員や、熱血の中年男など、キャラクター設定や展開において、筆者の旧作の「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」とかなりかぶるところがあって、そういうところは「なんか見た覚えのあるパターン」な感じは否めないのだけれど、舞台が現代であるために、一層身近な出来事として読むことが出来るという良さは加わっている。
展開のドラマチックさやスケールの大きさは、ハリウッドの超大作アクションに匹敵する内容なのだけれど、これは、映画化するとかえって小説よりも魅力が落ちてしまうかもしれない。大作映画に匹敵するぐらいのエンターテイメントを、文章一本で作り上げてしまう、この著者の表現力は本当に素晴らしいと思う。
【名言】
消耗だけを強いられた以前の仕事ではあったが、ひとつ重要な教訓を学ぶことはできた。それは、この世界に通用するルールはただひとつ、ルールなど存在しないのだということだ。社会が道義的であったためしはなく、国際政治のルールは力を持つ者の手で節操なく書き換えられる。辻褄の合わないことが当たり前の世界で平衡感覚を保つには、自分の規定したルールに従って行動するよりない。(上巻p.23)
目付きのみならず、骨格まで変わったのではないかと思わせる変装ぶりは、何度見ても瞠目に値する。変装術の極意は外見の変化ではなく、その役になりきる心境の変化、つまり自己暗示能力に尽きると訓練で習ったことがある。一功に言わせれば、だからこれは技術ではなく、コツさえつかめば誰にでもできるはずだとのことだが、それこそ天才の言い分だろう。天才は、えてして己の才能には無自覚なものだ。(上巻p.380)
「アメリカは、もちろん打って出るさ。テロリストの組み立てた論理なんぞ、おかまいなしに。そうするしかないんだ、連中は。ここで弱腰を見せたら、これから寄ってたかって袋叩きにされるってことは目に見えてる。これまでみたいに、見えないところで首謀者の寝首をかくってだけじゃ示しがつかない。全面戦争覚悟で突っ走ってみせるのが、唯一のアメリカン・ウェイってやつだ。」(中巻p.97)
「わかってないな。それがこっち側の理屈だって言うんだ。いまの世界に居場所のある人間。不満はあっても、とりあえずここで生きていきましょうって思える人間たちの側だ。おれやおまえ、ここにいる全員みたいにな。疎外されて、痛めつけられて、いまの世界には生きる価値もないって思ってる連中・・。この世界に居場所のない連中は、どんなバカなことだってやるさ。そうすることで自分の魂が救えるなら」(中巻p.98)
「アメリカにとって、日本は百以上ある国のひとつに過ぎない。でも日本にとっては・・」
「そう。そこに読み違いの原因がある。移民の国アメリカは、異なる者をすり合わせてひとつの国家にするために、あらゆるものを単純化、共通分母化してこなければならなかった。そのわかりやすさがグローバル・スタンダードになり得たわけだけど、一方で他の国にもそれを押しつけて、相手の身になって考える回路を捨ててきた節がある。言い換えれば、相手が誰であれ、自分と同じ程度には世故に長けていて、保身の術もあると期待している。つまり、大人として認めているってことでもあるのだけど。日本人の目からは、それが冷たすぎる父親の姿に映ってしまう」(中巻p.248)
「過酷な自然環境を征服するところから始まり、長い戦乱によって鍛えられてきた西洋文明は、究極的にはスタンドアローンの文明だ。異文化を珍重はしても、協調して発展することはできない。すべての並列化、多様化を認めた欧州連合の無力に収斂するか、9・11以後のアメリカが体現する征服主義に陥るかのどちらかだ」(中巻p.299)
前後の事情なんてどうでもいい、次になにをするか予測させない、無限の変化と可能性を秘めた生身の顔。それが目の前にある。(中巻p.395)
人類史に未曾有の歴史を刻んだ「平和国家」の住人たちが、国や民族、宗教といった言葉で括られる論理レベルを超え、新しい言葉を生み出す可能性。撃たれるまで撃てない無策を嘆くより、撃たれるまで撃たないと自らを規定し、反対ではなく、抑止という観点から戦争と対峙できる可能性。(下巻p.112)
「全体の利益」を見失った国家の不実が変わることはなく、一億分の一に細分化された混乱が受容されていゆくのかもしれなかったが、その瞬間、日本中の時間が止まり、すべての人がちょっとだけ心を震わせた、それだけは、間違いのない事実だった。そのささやかな共振が「全体」の感情を育み、次の瞬間を生み出すのだろうことも。(下巻p.434)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記