形式としては、「アドルフ」の名を持つ3人の人物が主人公ということにはなっているのだけれど、多くの人物が登場する群像劇ということがあり、どれか一人を主役とするには、重要な役どころのキャラクターが多すぎる感じがする。
しかし、それでも、誰か一人を主人公として選ぶならば、この物語の主役は、アドルフ・カウフマンだと思う。
戦争に翻弄される悲劇を体現する、一つの人生
少年の頃には、日独の混血であることからいじめられていた自分をかばってくれた年長のアドルフ・カミルのことを、兄のようにも親友のようにも慕い、その気持ちには一点の曇りもなく、世界は明るい光に満ちていた。
それが、ナチスの士官学校に入り、その規律に従ううち、自分自身の価値観は、少しずつ、全体主義が掲げる正義に侵食されていってしまう。
良心が少しずつ蝕まれていき、その後には、どれほどの悪行を重ねても呵責を感じないところまで行き着いてしまう。
戦争というものさえなければ、人種や血統など何の関係もなく、アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルの間の、怨みに満ちた相剋も生まれることはなかった。
環境というものが、いかに人の心を変えてしまうか、という悲劇を、みずからの人生を通じて示しているのが、アドルフ・カウフマンという人物だと思った。
史実とフィクションの絶妙なミックス
本作はミステリーとしての性格も持っていて、その鍵となるファクターが、「ヒトラーにユダヤ人の血が入っていることを証拠づける文書」なのだけれど、これは終始、いまいちピンとこなかった。
もしこれが、連合国側の手に渡ったとして、それがどのように効果的に使われたところで、ヒトラーの威信を失墜させることに成功するようには思われないし、戦争の勝敗の帰趨は、そんなものとは無関係のところで決まる気がするからだ。
だから、なぜ皆がその文書の奪い合いに血道を上げるのかがよくわからなかったのだけれど、しかしトータルで見ると、そういう点はほとんど気にならないほど、素晴らしく綿密に練られたストーリーだった。
実際の史実とフィクションとを、違和感なくミックスさせていく構想力もすごいし、後々になって着実に回収されていく伏線も見事だった。
人間の業の深さを表現するのに、戦争というものほど適した舞台はなく、手塚治虫ほど優れた描き手もいない。
その両方が重なって生まれたこの作品はやはり、後世に継がれるべき名作だと思う。
参考情報
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