虫眼とアニ眼(宮崎駿,養老孟司/新潮社)
宮崎駿と、養老孟司という、ちょっと変わった取り合わせの対談録。
バックグラウンドがまったくかけ離れているということもあってか、二人の会話は、実際にはそれほど噛み合っていない。お互いがそれぞれ好きなことを言い合っている感じだ。でも、おそらく二人の間には言葉にする必要のないぐらい強く共有された価値観がベースにあるようで、会話の流れなどとは関係なく、面白い話しがどんどんと出てくる。
養老孟司も、本の中で言っていることだけれど、宮崎駿という人は、自分についても自分の作品についても常に客観的で、控えめな視点を持っているところがいい。何かに偏ったり、何かを過信したりしていない。だから、世の中のことを眺める時にも、とてもバランス良く、自分の頭で考えることが出来るのだと思う。
巻頭に、宮崎駿が書き下ろした、「理想の街・理想の幼稚園」の、イラスト付解説があるのだけれど、この内容がとても素晴らしい。見ているだけで、棲み心地がいい街だということが伝わってきて、しかもそれが、理想論だけで終わっているのではなく、非常に現実的な視点が含まれている。
たとえば、「街から車をなくす」という提言にしても、単に車を追い出すだけでなく、街から出した車の駐車場はどの場所に、どんな形で作るべきか、その屋根はどんな材質にするべきか、というところまで細かくイメージされている。
この理想の街デザインは、「この街は、必然的に高齢の人が多くなるでしょう。結構高額になるはずですが、ツイの棲み家と考えれば安いともいえます。」というコメントで締めくくられている。どこまでも現実的に、具体的な部分まで考えている人だと思った。
【名言】
街には、中心になる空地がいります。盆おどりだの、青空マーケットといった目的だけでなく、なんとなく空いている空地が、おヘソとして必要なんです。いじりすぎるとつまらなくなります。空けておくんです。(巻頭)
都市という場所は、寸分の狂いもなく、垂直線と水平線しかないでしょう。また、いまの職人が、なだらかなカーブなんか作らずに、まっすぐなビルをバンバン建てるから、街の顔つきがつまらなくなってしまった。だから、物心ついた時期に出会う幼稚園は、とにかくデコボコだらけにしたい(笑)。(p.63)
アメリカの経営者に会うと、みんな揃いも揃って絵に描いたようですよ。毎日ジョギングを欠かさなくて、歯並びがよくて笑顔が絶えなくて、初対面の人にがーって握手して、こいつらなにやってるんだろうと思いますよ(笑)。ところが取り巻きの連中がいなくなって二人きりで雑談してたら、突然子どもの教育の悩みを打ち明けはじめて、これが「息子がやる気がない」とか、われわれの悩みとまったく一緒。けれど、仕事仲間とはこういう話しはできない。弱みを見せられないと言う。上のクラスはみんなそうです。ぼくらはアメリカ人というと、つい仕事と家庭生活を両立させて、ジョギングしてからだ絞ってって想像するけれど、あれは全部ウソです。仕事やってる連中は、日本人以上に寝ないで仕事やってます。ぼくらはそのカッコいいところだけ寄せ集めて勝手なアメリカ人像を作り上げて、それに劣等感を持ってる。滑稽ですよ。全然うらやましくないですね、アメリカの社会なんて。(p.88)
先はどうなるかわからない。それこそが生きているってことですね。まあ、人生そうたいしたことは起こらないって決めて生きれば、ずいぶん気がラクですよ。それでも生きるに値することってあるんです。(p.91)
イデオロギーが崩壊したでしょう。だけど、歴史的に何度もあることなんですね。南北朝時代というのはまさにそうでね。天皇親政だったはずなんだけど、途中でイデオロギーがなくなって、なんで南朝で、なんで北朝なのか、理由が何なのか全然わからなくなった。イデオロギーがない時代は日本も経験しているんですよね。(p.107)