人生に希望をくれる12の物語(鴻上尚史/講談社)
著者が20代の頃に影響を受けたという、12冊の本を取り上げて、その本についての紹介と読みどころをまとめたという内容。
単に、その本の内容を紹介しているだけではなくて、著者自身の経験や、その本を読んだ当時の状況などを踏まえて語られているというところが、とても面白い。
ここに紹介されている本の中には、そうと知らずに自分が読んでいても、それほど響かない本もあっただろうと思う。しかし、そういう本でも、この解説を読んでから読んでみると、何倍も面白く楽しむことが出来そうな気がする。
既に読んだことがある本については、解説を読んで、「なるほど、そういう意味がある作品だったのか」ということが理解出来て、より一層、その小説についての愛着が増すことになる。
戯曲と小説の違いについての説明や、その小説が出た当時の時代背景など、作品の周辺の様々な知識を教えてくれるところもいい。
本というのは、人によっての好みということもあるけれど、それに加えて、情報量の違いによっても、そこから拾い上げられるものの大きさは変わってくる。ここでまとめられた物語の解説は、本の味わいをより豊かにするための調味料のようなものだ。
【名言】
十代や二十代の前半だけに読んで終わらせるには、あまりにももったいない名作だと、僕は思っています。
年を重ねれば重ねるほど、間違いなく、人は人間と人生に絶望します。そして絶望はどんどん深くなります。浅い絶望の物語には感動しなくなります。かといって、絶望の深い人生は、現実の人生そのもので、感動はしません。
この物語は、深い絶望を描き、同時に希望を感じさせるからこそ、名作なのです。(アルジャーノンに花束を)(p.23)
「どうして別れたの?」と問いかければ、人はさまざまな理由を語ります。相手の親が反対したとか、彼が浮気をしていたとか、妻が新興宗教に入れあげてしまったとか。
その理由を聞きながら、けれど、別れた「本当の理由」はそんなことじゃないと感じたことはないですか。それは、とても分かりやすい理由だけど、本当は違うんじゃないか。目の前で哀しんでいる人は、自分が一番理解しやすい物語を選んでいるだけなんじゃないか。
それは、自分から別れを切り出す時、実感されます。本当は、そんなことじゃないけれど、相手に聞かれて、とりあえずの理由を語ります。相手が求めるからです。でも、本当はそんなことじゃない。うまく言葉にはできないけれど、そんなことじゃない。
物語とは、つまりは、現実の解釈です。自分の身に起こったことを、どう解釈して自分を納得させるのか。どう相手に伝えるのか。そこからすべての物語は始まります。そして、人間は、もちろん、現実を自分の都合のいいように解釈します。
そして、たぶんこれが一番の問題なのですが、人は現実に疲れれば疲れるほど、より分かりやすい物語を求めるようになるのです。(百年の孤独)(p.26)
結局の所、僕は「無償の友情」という動機に納得していません。そして、自分で考えた動機にも、納得していません。なのに(驚くことに)納得していないのに、感動するのです。そして、泣くのです。事情が分かってないのに、動機が分からないのに、納得してないのに、感動し、泣くのです。
そして、泣きながら、感動しながら、それは何か?と大人になればなるほど突き詰めようとするのです。
たぶん、それは、人生のひとつの真実のような気がします。僕たちは、分からないのに感動することができるのです。それが何かと論理的にうまく説明できなくても、感動できるのです。
それは、人生の意味が分からないのに、生きていくエネルギーが生まれるという「不思議」と対応します。分からないのに感動できるからこそ、僕たちは、先の見えない人生を生きていくエネルギーを持つことができるのです。(泣いた赤おに)(p.62)
現実は、ただ起こるだけです。それに、どんな理由があって、どんな意味があるのかを決めるのは、物語です。
現実は、ただ、起こるのです。現実を私たちは、理解しやすい物語として受け入れるのです。
どんな物語が好きかは、もちろん人それぞれですが、現実はそんなことを言ってる場合ではありません。それはただ、起こるだけなのです。それが現実なのです。
そして、この作品は、そんな現実の理解しがたさを、見事にエンタテインメント作品として成立させた奇跡の一作なのです。(友達)(p.78)
若い時は、保守的なものです。なぜなら、守るべきモノが何もないからこそ、自分には守るべきモノがたくさんあると思い込んでしまうのです。僕は、22歳で劇団を旗揚げして、このことに気づきました。(人間失格)(p.96)
突然、最愛の息子を失うというむき出しの不条理に対して、お坊さんは、それは「無意味でも無価値でもなく、定めだったのだ」という「条理」を対抗させました。そして、人生の不条理に打ちのめされていたお母さんは、それを受け入れたのです。
それは、人間が生きていくためのぎりぎりの智恵なんだと、その当時の僕は思いました。それまで、宗教に振り回されている人を、なんとなく距離を持って見ていた僕は、少し、宗教に対する見方が変わりました。具体的に・切実に・必死で、条理を求める人の存在を知って、簡単には世俗的な宗教を否定できなくなったのです。(変身)(p.159)
ヒットするマンガの最大の特徴は、キャラクターが明確で変わらないことである、という言い方もあります。キャラクターが成長することはあっても、物語の途中でキャラクターがまったく別人に変わったりすることは、エンタテインメント系のマンガの中では絶対のタブーなのです。
それは、この不条理な人生を生きる僕たちの必死の抵抗だということもよく分かります。せめて、作品の中は条理で溢れさせたいという願いです。
それはよく分かりますが、けれど、「変身」のように、不条理な人生そのものを描きながら、それでも、面白い作品も、奇跡的に生まれるんだということも確認したいと思うのです。
それは、不条理な人生そのものへのひとつの抵抗ではないかと感じるからです。(変身)(p.171)
この「羊をめぐる冒険」を読んだ時、「ああ、この作者は、とうとう大人になることを決めたんだ」と思いました。自分が、大人になることを引き受け、そんなことを引き受けたくはないのに、けれど、生きていく以上、引き受けなければいけない時が来て、そして、それを決心したんだと思いました。(羊をめぐる冒険)(p.220)