奥山さんが亡くなった。
奥山さんがブログに書く日記を、オレはずっと読んでいた。
最後に書きこまれたメッセージは「死にたくないな」という、短いメッセージだった。
自分にとっては1週間前の一日と、今日の一日にほとんど違いはないが、奥山さんにとってはそこに大きな差がある。
奥山さんが生きられなかった今日を、自分は生きている。
この今、起きている出来事を奥山さんはどんなにか自分の目で見たかったことだろうと思う。
もし自分が明日死ぬとわかっていたら、
きっと世界中のあらゆる人を羨ましいと思うだろう。
その人がどんなにどん底で苦しんでいたとしても、
それをすら羨ましいと思うかもしれない。
本当の本当に必死に頑張れば、人は24時間のうちにかなりスゴいことが出来る。
そこまでの必死さを出すことはなかなか難しい。
それを持続させようとしたら、ますます難しいことだ。
その必死さを出すには、時間を意識するしかない。
砂時計の砂が流れ落ちている音を、常に意識するしかない。