『同志少女よ、敵を撃て』女性だけの狙撃兵部隊でしか描けない物語

『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂 冬馬/早川書房)

第二次世界大戦における独ソ戦を舞台に、史実を交えながら描いた小説。
文章に臨場感があって、かなりの読み応えがあった。

ソ連だけが、ドイツやアメリカなどとは違い、女性による実戦部隊や狙撃兵部隊を持っていたということも事実であるらしい。
従軍している女性の視点から見た戦争というのも斬新だったし、さらに、狙撃兵という特殊な兵科を描いているという点でも面白かった。

狙撃兵というのは、命令にしたがって集団で動く歩兵などと違って、自分自身で考えて個別に行動をすることが基本だ。
だから、思考も内省的で哲学的なものになっていくのだと思う。

死と隣り合わせの、戦場という極限の状況であるからこそ生まれる思考や、駆け引きや、友情。
そして、上官も含めて、同僚がすべて女性ばかりの、隔絶された狙撃兵訓練学校というところが独特な世界観を作り上げている。

主要人物たちのキャラクターが、それぞれ異なる際立った個性を持っていて、それが面白い。
イリーナとセラフィマの関係が良かった。
圧倒的な実力と見識の差があるところから始まる、愛憎半ばした複雑な師弟関係。
これは、女性同士の関わりだからこそ描ける境地だと思った。

ウクライナや、タタール人、コサックなど、普段馴染みのないそれらの民族が、ソヴィエト連邦という国から眺めることによって、どういう立場に置かれた存在なのかということが、世界史の教科書などよりずっとよく理解できる。

「スターリングラードの戦い」という名前は知っていても、それがどういう戦略的な意味を持って、その内容はどのような戦いだったのか、ということは知らなかった。

第二次世界大戦でのソ連の死者数は、軍民あわせて2000万人以上だという。
何十万、何百万人という単位で人が死んでいく様子を知ると、それぞれの人生など関係なく、ただの数字や記号のようにしか思えなくなるし、その行動規範や死に様に、ドイツとソ連の間には大義という点ではたいした違いはないと思えてくる。
どっちもどっちで、たまたま、その時に運が良かった側が勝って正義を主張するというだけのことだ。

従軍した人間たちには、それぞれの人生や個性や信念があるけれど、どれだけ思考を重ねたところで、大きな歴史の流れの前では、個人の事情などほとんど無関係なところで物事は進んでいくというのが分かる。

敵の銃弾に当たるか当たらないかは、ただの紙一重の運でしかない。
激戦地に派遣されたり、無能な指揮官の下に配属されれば、どれほど優秀なスキルを持っていたとしても生存の可能性はほとんどなくなる。

殺戮をゲームと思えなければ、一流の狙撃手にはなれない。
しかし、ゲームを楽しんでしまえば、人間とは呼べない獣に堕する。
戦争というのは本当に、不条理だらけの悪夢だけれど、それゆえにドラマが生まれるのだと思った。

名言

「やめてください!」
「頼めば相手がやめると思うか。お前はそうやって、ナチにも命乞いしたのか!」
女性兵士の叫びに、セラフィマの心臓が跳ね上がった。
「そのようだな。この戦争では結局のところ、戦う者と死ぬ者しかいないのさ。お前も、お前の母も敗北者だ。我がソヴィエト連邦に、戦う意志のない敗北者は必要ない!」(p.37)

「狙撃兵に向かない奴がいる。感情に流される奴、無駄口を叩く奴、目立ちたがる奴…それと、他人を頼りにする奴だ。みんなで頑張ろうなんて奴は、今のうちに退校しろ。単身、前線へ放り込まれたら、射撃位置につくまえに撃たれて死ぬのがオチだ」
言うだけ言って、アヤはドアの方へ向かう。(p.59)

「狙撃兵の特異性はその明瞭な意思により敵を狙い、撃つことにある。現代の戦争では、機銃兵も砲兵も爆撃手も軍艦乗りも、あらゆる兵科は集団性とそれによる匿名性の陰に隠れることができる。しかし、お前たち狙撃兵にはそれはできない。常に自分は何のために敵を撃つのかを見失うな。それは根本の目標を見失うことだ。そこで死を迎える。」(p.75)

もはやイリーナの声も、装填手の声も聞こえなかった。全ては雑音だ。便乗するように敵戦車兵を撃つ赤軍兵たちがむかついた。獲物を横取りしている。殺してやりたい。できるならばやかましく自分を称賛する装填手も殺してやりたいが、一人では装填できないので我慢した。
照準と発射を手早く終えて、四人中三人を射殺した。
これが自由だ。これが力だ。
アヤは笑いながら次々と残るルーマニア兵を撃った。
主義主張も観念も民族も自分には必要ない。必要なのは、この境地だけだ。(p.171)

「アヤは…」
「彼女は死んだ」
イリーナが、血に濡れた塹壕から立ち上がり、答えた。
「戦場で誤れば死ぬ。座学で教えた通りだ」
シャルロッタは、あたりを見渡した。そして血の海と化した陣地から目を背けて、うめき声を上げた。彼女を支えたママが、呆然とした表情で言った。
「彼女は、紛れもない天才でした。我が校で最も優秀な狙撃兵でした」
そうだな、とイリーナは頷いた。
「確かにアヤは天才だった。今日彼女は十二人の敵を倒した。戦い続けることができたならば、おそらく百以上の敵を倒すこともできる一流だった。だが彼女は基本を忘れた。『一か所に留まるな。自分の弾が最後だと思うな』。分かっていたはずの基本を忘れ、同じ陣地から目立つ狙撃を繰りかえし、反撃を食らった。通常の技術者は失敗を繰り返して熟練に近づく。だが我々の世界には試行錯誤は許されない。お前たちもその目に焼き付けろ。これが狙撃兵の死だ」(p.177)

セラフィマは同じ時間に彼に狙いをつけている。照準調整を終えた彼女は、反撃のない理想的な時間に敵を捉えた。
ククク…
自然と喉が鳴り、セラフィマは笑っている自分に気付いた。
引き金を絞ると、二人目の迫撃砲兵は倒れた。腹に当たった。
セラフィマは、視界に倒れた虫の息のフリッツ二人のうち、次にどちらを撃つべきか迷った。むしろ撃たずにいれば、新たなフリッツが現れてそれを的にできるのでは、とも思った。フリッツの腹を撃つ、それを助けにくるフリッツを撃つ、それを助けに…
スコアを伸ばす面白い方法を見つけたな、と思ったとき、イリーナが怒鳴った。
「撤退だ、いつまでやっている!」
(中略)
「バカかお前は!一か所に留まるな!」
セラフィマは舌打ちした。三日がかりの作戦に成果を挙げたのにバカ呼ばわりか。
「私の狙撃スコアは二、それもカッコーと迫撃砲兵を倒したんですよ」
「一だ。迫撃砲兵は脂肪を確認していない。そう記録する」
「あれで生きてるわけない、二ですよ」
「セラフィマ!」
イリーナが振り返った。両肩を掴んで、彼女は言った。
「楽しむな」
暗がりでその表情はよく分からなかった。
それにも増して意味の分からない言葉だった。
セラフィマの脳裏は興奮で満たされていた。高揚した気分が、イリーナの言葉をどう受け取るべきかの判断を鈍らせた。(p.263)

「医学の心得のある人間から見てどう思う?ラシアン弾で腹を撃たれたフリッツが、どのくらいの時間生きていられる?」
ターニャの目がセラフィマを見下ろした。
ガーゼを貼ってテープで固定した彼女は、次の瞬間セラフィマの顎を拳で殴った。
意識が遠のくほどに強烈なパンチだった。
「あたしの前で『スコア』の話をするな」
ターニャは吐き捨てるように言って、隣の部屋に去って行った。
セラフィマはソファから跳ね上がり、彼女に言葉を浴びせた。
「どうして褒めてくれないの!私は…」
自分の言葉に驚いた。ターニャは目もくれずにドアを後ろ手に閉めた。
周りを見渡す。
大隊の男たちも、シャルロッタもママも、異様なものを見るように自分を見ていた。
冷や水をかけられたように冷静さを取り戻したセラフィマは、自分の振る舞いを整理した。笑いながら敵兵を撃った。殺した数を自慢した。
楽しむな、とイリーナは言った。自分は人殺しを楽しんでいた。
「うっ…」
自己嫌悪によって倒れそうになったとき、イリーナがセラフィマを抱きしめた。
「大丈夫だ、お前は何も間違っていない」
誰よりも嫌っていた相手が、そう言って自分を抱きしめている。自分にとっての仇が、自分を唯一認めている。抱きしめられた腕の中で、徐々に身を固くする力が抜けてゆく。
「大丈夫だ、お前はよくやっている。お前はそれでいいんだ」
「いいもんか、あんたが、あんたが私を変えたんだ…」
「そうだ。私がお前を変えた。狙撃兵に育てた。お前は敵を撃て。迷うな。一か所に留まらず、自分だけが賢いと思わず、狙撃兵として敵を撃て、セラフィマ!」
セラフィマはうめいた。
自分でも理解不可能な感情が胸の内に渦巻いた。
イワノフスカヤ村にいたとき、自分は人を殺せないと、疑いもなく思っていた。それが今や殺した敵を誇っている。そうであれとイリーナが、軍が、国が言う。けれどもそのように行動すればするほど、自分はかつての自分から遠ざかる。
自分を支えていた原理は今どこにあるのか。
それは、そっくりそのままソ連赤軍のものと入れ替わったのか。
自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。
しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。(p.265)

国を問わず、歩兵と狙撃兵は相性が悪い。
それは職能の差によるものでもある。歩兵は前線で敵弾を掻い潜って的に迫り、市街戦ともなれば数メートルの距離で敵を殺すのが仕事だ。そのために必要な精神性は、死の恐怖を忘れて高揚の中で自らを鼓舞し、熱狂的祝祭に命を捧げる剣闘士のものだ。
一方で、潜伏と偽装を徹底し、忍耐と集中によって己を研鑽し、物理の下に一撃必殺を信奉する狙撃兵は、冷静さを重んじる職人であり、目立つことを嫌う狩人である。
個々の兵士にはその兵科に特化した精神性の持ち主が必要とされるし、望むと望まざるとにかかわらず、戦火の選別を経て生き残った兵士たちの精神は、兵科に最適化されてゆく。もし歩兵に求められる精神性で狙撃兵になれば一日であの世行きであるし、狙撃兵の精神性で歩兵になれば戦いに行くこと自体がままならない。(p.343)