村上春樹雑文集


村上春樹 雑文集(村上春樹/新潮社)

過去に村上春樹氏が書いた、雑誌のコラムや、本の巻末の紹介文のような、短い文章集。
どれをとっても、文章が面白くて、説明の仕方や切り口もすごいと思うのだけれど、やっぱり、自分があまり詳しくない分野の内容は、読んでいて理解が追いつかないので、テーマによって、とても楽しく読めたものとそうでないものに分かれた。
あまりよくわからなかったのは、ジャズなどの音楽の話と、アメリカ文学の話し。
一番好きだったのは、最初に掲載されている、小説とは何かということについて語った「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」と「違う響きを求めて」だった。
読んでいて思うのは、村上春樹という小説家は、人や物を褒めるのが、ものすごく上手いということだ。しかも、それが、無理をして持ち上げているという感じではない。
求められれば何にでも寄稿するというのではなく、本当に好きなジャンルに絞って、好きなことについて、ありのままに素直に書いているという気がする。素直に書けないと思う事柄については、最初から原稿を引き受けないのだろうと思う。
【名言】
ときどき年若い読者から長い手紙をもらう。彼らの多くは真剣に僕に向かって質問する。「どうしてあなたに、私の考えていることがそんなにありありと正確に理解できるのですか?こんなに年齢も離れているし、これまで生きてきた体験もぜんぜん違うはずなのに」と。
僕は答える。「それは、僕があなたの考えていることを正確に理解しているからではありません。僕はあなたのことを知りませんし、ですから当然ながら、あなたが何を考えているかだってわかりません。もし自分の気持ちを理解してもらえたと感じたとしたら、それはあなたが僕の物語を、自分の中に有効に取り入れることができたからです」と。
仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。「自己とはなにか」(p.20)
僕らは「文学」という、長い時間によって実証された領域で仕事をしている。しかし歴史的に見ていけばわかることだが、文学は多くの場合、現実的な役には立たなかった。たとえばそれは戦争や虐殺や偏見を、目に見えたかたちでは、押し止めることはできなかった。そういう意味では文学は無力であるともいえる。歴史的な即効性はほとんどない。でも少なくとも文学は、戦争や虐殺や偏見を生み出しはしなかった。逆にそれらに対抗する何かを生み出そうと、文学は飽くこともなく営々と努力を積み重ねてきたのだ。「自己とはなにか」(p.28)
僕が小説を書くひとつの大きな目的は、物語というひとつの「生き物」を読者と共有し、その共有性を梃子にして、心と心のあいだにパーソナルなトンネルを掘り抜くことにあるからです。あなたが誰であっても、年齢がいくつでも、どこにいても(東京にいても、ソウルにいても)、そんなことはぜんぜん問題ではありません。大事なのは、その僕が書いた物語を、あなたが「自分の物語」としてしっかりと抱きしめてくれるかどうか、ただそれだけなのです。「ドーナッツをかじりながら」(p.72)
麻原たちが信者たちに向かって提示した世界観は、基本的にはひとつのフィクションだった。要するに「実証の枠外にあるもの」だった。いや、僕はそれを避難しているわけではない。誤解を恐れずにいえば、あらゆる宗教は基本的成り立ちにおいて物語であり、フィクションである。そして多くの局面において物語は、いわばホワイト・マジックとして、他には類を見ない強い治癒力を発揮する。それは我々が優れた小説を読むときにしばしば体験していることである。一冊の小説が、一行の言葉が、僕らの傷を癒し、魂を救ってくれる。しかし言うまでもなく、フィクションは常に現実と峻別されなくてはならない。ある場合にフィクションは我々の実在を深く呑み込んでしまう。たとえばコンラッドの小説が僕らを実際にアフリカのジャングルの奥地へと運んで行くように。しかし人々はいつか本のページを閉じて、その場所から現実へとたち戻ってこなくてはならない。我々はそのフィクションとは別のところで、現実世界に立ち向かう自己を、おそらくはフィクションと力を相互交換するかたちで、作り上げていかなくてはならない。「東京の地下のブラック・マジック」(p.205)
小説を書くといっても、いったい何をどのように書けばいいのか、見当もつかない。それまでに小説を書いた経験がなかったからだ。もちろん自分の文体というようなものの持ち合わせもない。小説の書き方を教えてくれる人もいなかったし、文学を語り合えるような友人も持たなかった。ただそのときに思ったのは、「もし音楽を演奏するように文章を書くことができたら、それはきっと素晴らしいだろうな」ということだった。
小さい頃にピアノを習っていたから、楽譜を読んで簡単な曲を弾くくらいならできるが、プロになれるような技術はもちろんない。しかし頭の中に、自分自身の音楽のようなものが強く、豊かに渦巻くのを感じることはしばしばあった。そういうものをなんとか文章のかたちに移し替えることはできないものだろうか。僕の文章はそういう思いから出発している。「違う響きを求めて」(p.352)
僕は文章を書くことは好きだし、文章を書くことを苦痛に感じたことは一度もありません。ただしそれ以外のものごとというのは、正直なところかなり苦手です。インタビューも講演も朗読も、できることならやりたくありません。テレビにもラジオにも出たことはありません。ただあまり自分の内側にばかり閉じこもっているのは健全ではないような気がするので、意識的にときどき人前に出るようにはしています。しかし何をするにせよ、文章を書くための時間を犠牲にすることだけは、したくはありません。小説家というのは本来、あらゆる個人的行為や原則を、小説の中に詰め込んでいくべきものであり、それを現実に実行するのはあくまで副次的なことであると、僕は考えます。「ポスト・コミュニズムの世界からの質問」(p.365)
僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。「遠くまで旅する部屋」(p.388)
僕はたまたま日本人で、五十を過ぎた中年の男性ですが、それもたいした問題でもないような気がします。物語という部屋の中で僕はなにものにでもなれるし、それはあなたも同じです。それが物語の力であり、小説の力です。あなたがどこに住んでいて、何をしていても、そんなこともたいした問題ではありません。「遠くまで旅する部屋」(p.390)