ヘルタースケルター


ヘルタースケルター(岡崎京子/祥伝社)

美しさというのは、尊い価値を持っている。
しかし、イデアとしての美しさではなく、外見の美しさのみを追い求めた場合、それはとても儚いもので、それに固執しようとした人間には相応の悲劇が待ち受けている。
この作品は、美しさと若さという妄想に取り付かれたアイドル(偶像)と、その美を取り込もうとした人々、その美に取り込まれてしまった人々、という魍魎が巣食う世界を描いた物語だ。主人公のりりこは、ひたすらタフに、自分のアイデンティティーすらも棄てて、終わることのない整形の無間地獄に堕ちていく。
美しさと若さは、古今東西、あらゆる女性の夢であったけれども、所詮、夢は夢のままあった。しかし、大量消費社会では、欲望を満たすためのあらゆるものは売買の対象となる。「美」もまた人が持つ有限の資源の一つであり、定められた割り当てというものがあるけれども、それも、限りない欲望を持つ人々にとっては、トレード可能な品物になり得てしまう。
必要以上の美を今、要求した場合、それは自分自身の未来を担保にした借入れということになり、それでも間に合わない場合は、ついに魂と引き換えということになる。
何かを得た代償は、必ず何らかの形で対価を支払わなければいけないという点で、それは非常にフェアな世界ではないかと思う。
岡崎京子という人の天才は、僕が考える「良く出来たマンガ」というラインを軽く飛び越えて、その遥か先まで一気に到達してしまっている。この作品は、岡崎京子氏が事故に遭って執筆を停止する直前に描かれたもので、そのために、通常であれば単行本化にあたって大幅に加筆することを常とする筆者の意向は反映されなかった。もし、更に手が加えられていたならば、更にクオリティーは高くなったのかもしれないけれど、それを嘆くよりも、これほどの作品が完成して世に残ったことを奇跡と思いたい。
【名言】
「私は私を入れるような倶楽部には入りたくない」つまり「私は私を愛するような人間を愛したくはない」ということ。(p.129)
だから言ったでしょ?12時をすぎると馬車はカボチャに馬丁はねずみにドレスはぼろくずになりますよ。(p.152)
おまえはとてもみじめで貧しくみにくかったが、こんな痛みは知らなかっただろう・・こんな類の涙は流さなかっただろう・・(p.174)
「いやですわ。何故神は、まず若さと美しさを最初に与え、そしてそれを奪うのでしょう?」
「若さと美しさは同義じゃないよ。若さは美しいけれども、美しさは若さではないよ。美はもっとあらゆるものを豊かにふくんでいるんだ。」(p.177)
別に・・なんでも・・どうでもいいです。有名になるとかお金とかも別に・・でも別に他にやることもないし出来ないし・・服も好きだけど・・そんな・・別に・・。いつかみんなあたしのこと忘れちゃってもいいです。20年10年ううん5年たったら、きっとあたしのことなんてみんな忘れてる。むしろそのことのほうがたのしみです。(p.239)
彼女は思う。「面白いけど、ばかみたい。だからりりこはあたしを嫌ってたのね。くだんないの。人間なんて皮一枚剥げば血と肉の塊なのに。くだらない。」しかし彼女がごうまんにそう思うのは彼女じしんがその皮一枚で美しいからである。生まれたときから。(p.258)