モディリアーニの絵には、一目で彼の絵とわかる、独特の特徴がある。
瞳のない目、長く伸びた首、やや傾いた顔、粘土細工のように丸みを帯びたフォルム。
特に、目を描かないというのはかなりのインパクトがある。
本宮ひろ志氏は、どれだけ連載の数が増えて、アシスタントの人に代わりに描いてもらう部分が増えたとしても、目だけは必ず自分自身で描くという。それだけ、目というのは絵において重要な部分で、その描き方一つで大きく印象が変わってくるものなのだと思う。
その「目」を描くことを放棄するというのだから、かなり思い切った手法をとったものだ。しかし、結果的にはそれこそが、モディリアーニをその他すべての画家から独立した存在として成立させる契機になったのだと思う。
目を描かずに対象を表現しようとすれば、どうしても、対象を全体として捉えて、その特徴を描き出すことになる。だからこそ、表面にあらわれるものよりも、より、実際の本質に近い部分によって表現することになるはずだ。目というのは、あまりにその存在を主張しすぎるので、それが、絵全体で表現をするための邪魔にもなってしまうのだと思う。
サッカーで手が自由に使えたら、ゴールはきめることはずっと簡単に出来るけれども、それではゲームとしての面白さがほとんど失われてしまうから「手を使わないことにする」というルールを課す、ようなものかもしれない。
この展覧会で一番好きだった絵は、「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エピュテルヌ」という絵だった。
モディリアーニは、アフリカの原始美術や彫刻に影響を受けたらしいのだけれど、この絵は、そういうエネルギッシュなものとは遠く離れた印象があって、仏や観音の慈悲を思わせる。
弥勒菩薩像にとてもよく似ていると思った。
■モディリアーニ展
http://modi2008.jp/html/
2008年6月9日(月)まで国立新美術館にて開催中