MITの石井裕教授の講演を聴く。
話し方がとてもカッコよかった。
50分という短い講演だったけれど、かなり興味深く、密度の濃い話しだった。
タンジブルビットという、「アナログの感覚」と「デジタルの情報」の融合がテーマ。
講演は、宮沢賢治の手書き原稿のスライドから始まった。
妹の死を嘆いた「永訣の朝」の肉筆原稿には、無数の走り書きや、書き直しの痕が残されていて、どこまでが本文であるかの判別も難しいぐらいだけれど、そこには文字としての情報を遥かに超えた意味が含まれている。
しかし、人々が読む、宮沢賢治の詩は、明朝体の活字にコード化して整形されて、元の原稿にあった痕跡はすっかり失われてしまっている。
情報が変換される過程で、どれほど多くの意味が滑り落ちてしまったかが、とてもよくわかる。
特に印象深かったのは、「今までに電子黒板などで『紙』に挑戦をしてきたけれど、ずっと負け続けている」という言葉だった。
4000年前に中国で生まれた紙は、今なお、そこでしか表現出来ないものがあって、たとえば、書道での墨の微妙なニュアンスを表わすのに、紙以上の媒体はまだ存在していない。
数々のユーザーインターフェースを手がけてきた、石井教授の口から出た言葉だからこそ、これはとても重みがあった。
■印象に残った言葉メモ
・美しいものはフラジャイルである。
・普通の絵画ではインクはインクでしかない。そのインクに情報というZ軸を持たせることで、絵の中に歴史が入り込む。
・卓球のラケットは、柔らかい木で出来ているために、使うほどに体に馴染んできて、ついには体の一部といえるまでに一体化していく。
・人間のアテンションがいかに貴重なリソースであるかということ。
・「g-speak」(映画「マイノリティ・リポート」の中に登場したような近未来インターフェース)はマッシブな情報を扱うのに適している。