新史太閤記

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新史太閤記 上下巻(司馬遼太郎/新潮社)

「新史太閤記」は、時代的には「国盗り物語」の後編である「信長編」とだいたい同じような時代を書いた物語なのだけれど、視点と、中心となっている人物がだいぶ変わっている。
「国盗り物語」の後編での、各人物の描写の割合が、明智光秀:信長:秀吉=5:4:1だとしたら、この「新史太閤記」では、光秀:信長:秀吉=1:4:5になっている感じだ。
なので、「国盗り物語」では信長と光秀の、正反対ともいえる性格の相容れなさを描いていたけれど、この小説では、秀吉と信長の奇跡的な相性の良さを示すエピソードが中心になっている。
特に好きだった場面は、
・北陸遠征からの撤退の時、金ヶ崎城への籠城を申し出て、決死の防戦を決意する場面。(上巻p.327)
・京極高藤の娘である、おちょぶを貰いうけに行く場面(上巻p.391)
・対上杉戦で、柴田勝家の作戦に反発して、陣地を去って近江に帰る場面(上巻p.448)
・秀吉と黒田官兵衛の、性格的な類似を説明する場面(上巻p.514)
・柴田勝家を裏切った前田利家に対して秀吉がさりげなく気遣いをした場面(下巻p.366)
・秀吉に家康が謁見をする前日、単身で家康のところに乗り込んで根回しをする場面(下巻p.516)
秀吉には、誠実さを装うことで、人の心を掌握するような場面が多く登場する。その分、とことんまで自我を抑えて制御しているような計算高いところがあり、信長のような破天荒な天才型と比べると、面白さという点では劣る気がする。
なので、読み物としては、エンターテイメントというよりも、組織論としての気づきが多い、ビジネス書に近いところがあるのかもしれない。
この太閤記は、秀吉の一生が描かれているわけではなく、秀吉の全盛期ともいえる時期の少し手前のところで終わってしまう。何でここで終わってしまうのか意味がわからないぐらい中途半端な場面で、唐突に物語は幕引きになってしまうのだけれど、筆者としては、そこで秀吉という人物を示すに足る、特徴的なエピソードは描き切った気持ちだったのかもしれない。
家康を配下にしたがえて、関白になって以降は誰かの機嫌を伺うような政治的配慮の必要もなくなり、晩年には朝鮮出兵などの暗い陰も見えるようになることを考えれば、豊臣秀吉という稀有なキャラクターを、一つの理想的な形で表現し尽くした、「新史」と呼ぶにふさわしい一代記だと思う。
【名言】
この猿の赤心、誠実の変形も、相手に理解能力がなければなにもならない。
お菊には、不幸にしてそれがない。
彼女の網膜にうつる相手は、者を言えば滑稽、だまっていれば醜悪、というだけの類人猿でしかない。(上巻p.118)
猿は、信長という男の可笑し味は大人というものにならず、体だけそれに似たものに成長してしまったところにあると思った。そういう信長を、猿はこの地上でたれよりも好きになった。
(おれの場合は忠義というようなものではない。好きというものだな)
信長も、猿が好きでたまらぬらしい。もっとも好きといっても、この信長の場合、今川義元が美少年を愛するような大人の好みかたはなく、子供に似ていた。子供が犬猫を可愛がるのあまり、首を締めたり、宙吊りしたり、塀にぶっつけたりして動物の機動性を楽しむように、信長も猿にそれをした。(上巻p.136)
義父にこそわからないが、当の寧々にはわかっている。ほとんど毎日やってくる藤吉郎ほど寧々にとって会話の仕映えのある相手はいない。寧々は生来機智に富み、退屈な相手が大嫌いだった。
この点、藤吉郎はみごとな男だった。こちらが何を問いかけても機智のあふれる返答が返ってきたし、ときには腹をかかえるほどに笑わせられるし、しかも人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある。要するに面白いのである。(上巻p.175)
猿は、人懐っこく、かつ信義にあつい。人懐っこさと信義のあつさは、猿の香気であり、もっとも重要な特徴であるように、半兵衛には思えた。げんに猿自身も、かつて半兵衛にいったことがある。
「わしは、人を裏切りませぬ。人に酷うはしませぬ。この二つだけがこの小男の取り柄でございますよ」
といった。そのくせ猿は調略の名人というべき才器のもちぬしなのである。もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなかったら、おそるべき詐略、詐欺、陰謀の悪漢になったであろう。猿はそういう悪漢の才能をことごとく備えていた。ところがそれらの悪才を、猿は、その天成のあかるさと信義の厚さというたった二つの持ち前の徳でもって、もののみごとに美質に転換させているのである。(上巻p.257)
「智恵とは、勇気があってはじめてひかるものだ。おれはつねにそうだ」
が、胸中のこまごまとしたことは、依然いわない。言えないのであろう。目の前に生死の運命が屹立している。それを前になにをいったところで、言葉がむなしく虚空に散り消えるだけのことだということも、この豪胆な小男は知っているのであろう。半兵衛重治はこのときはじめて藤吉郎秀吉という男が、この地上で類のない男であることを骨の髄までしみとおるほどの感動をもっておもった。(上巻p.450)
織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権詐にみちたゆだんのならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。まるで才華の大群落をみるようではないか。(上巻p.467)
「わしの神は別にいる。織田信長というお人だ」
と藤吉郎はいった。
なかば冗談であり、なかば本心である。正直なところ、信長は藤吉郎にとって神に似ている。信長によって智恵を啓かれ、運をさずけられ、こんにちの身分をあたえられた。霊験だけではなく、ひとつまちがえば雷神のごとき祟りをなす点も、神に似ているではないか。(上巻p.479)
信長はもとより音楽をこのみ、よく笛師や鼓師をかかえていたが、かれもこの世でこれほど微妙な階律をきいたのはむろんはじめてであったであろう。
信長はそのオルガンに寄りかかり、心持首をかしげ、すべての音を皮膚にまで吸わせたいという姿勢で聴き入っていた。藤吉郎のおどろいたのは、その横顔のうつくしさであった。藤吉郎は信長につかえて二十年、これほど美しい貌をみせた信長をみたことがなく、人としてこれほど美しい容貌もこの地上でみたことがない。その印象の鮮烈さはいまも十分に網膜の奥によみがえらせることができるし、時とともにいよいよあざやかな記憶になってゆくようでもあった。
(このひとは、神だ)
と、このとき、理も非もなくおもった。その神が藤吉郎の頭上に存在しているかぎり、かれは何宗といえども信じないであろう。(下巻p.46)
「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」
それが秘訣だ、と秀吉はおもっている。悪事も善事も陽気にやらねばならない。ほがらかにあっけらかんとやってのければ世間の者もその陽気さにひきこまれ、眩惑され、些細な悪徳までが明色にぬりつぶされて一種の華やかさを帯びてくる。
(そういうものだ)
と、秀吉はこの重大行動に出るにあたってことさらにそれを思った。(下巻p.280)
この時期、家康は四十をすぎたばかりであり、織田家との同盟二十年のあいだ、信長の協力者として百戦の経験を経、自分の力量を知るようになり、世間にはさほどの者がおらぬということを知った。かれは自分を凌ぐ者は第一に武田信玄であり、第二に信長であるとひそかにおもっており、その両人がすでに失せたこんにち、秀吉以外におそるべき者はないとおもっている。(下巻p.414)