ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ(江國香織・桐野夏生ほか/新潮社)
源氏物語のいくつかの章を、9人の作家が、それぞれ好きな形で現代語に訳した作品集。江國香織や桐野夏生など、作家陣の顔ぶれが魅力的なセレクションだった。
どの章を選んで、どのようなスタイルで現代風にアレンジするかということは、かなり作家の裁量にまかされているらしく、原作の雰囲気をそのまま残している訳もあれば、完全に設定を現代に置き換えてしまっている話しもあり、それぞれの個性がよく出ていて面白い。
こうして、様々な作家によってリライトされた作品を読むと、やはり、源氏物語というのは、自由なアレンジを許しても、本質的な面白さが失われないだけの、普遍的な内容があるのだということに気づかされる。
収録されているのは、角田光代「若紫」、町田康「末摘花」、桐野夏生「柏木」、松浦理英子「帚木」、江國香織「夕顔」、金原ひとみ「葵」、島田雅彦「須磨」、日和聡子「蛍」、小池昌代「浮舟」の9編。
【名言】
生来、彼は物事の善い面を発見することに長けていた。長けすぎていると言うべきなのだが、本人は無自覚だった。そして、それこそが彼の徳であり、空前絶後の上品さだということに、おそらく彼の周囲のすべての男と、数人の女だけが気づいている。「夕顔」(江國香織)(p.39)
これは話の流れとしては当然のことだけれども、ご婦人、お女中、女というものについても言える話で、だめっすわ、という感じ、感覚がある。というのは、まあ、私のようなものが、手紙を出すなりなんなりすれば、ただでさえそう無下にもできぬうえ、私の容貌は光そのもので、歌はそんな調子だし、楽器なども超絶技巧で、舞も渋いので、たいていの女は、火の玉になってぶっ飛んできて、もちろん、火の玉になってぶっ飛んでくる女の姿が美であろうはずもなく、浅ましいばかりで引いてしまう。「末摘花」(町田康)(p.89)
私たちは何と物狂おしい運命を生きているのでしょうか。皇女という身分の私は、決して愛を得られない運命。紫の上様は、愛を得ても地位を得られない運命。六条院様は、すべての女人の和を望んでいらしたのに、私を入れることで壊しておしまいになったし、私を欲した柏木様は病を得られた。すべては、六条院様の欲望が、周囲の人間を皆不幸にしているのでございます。「柏木」(桐野夏生)(p.244)
わたくしが死に、あのかたが死んでも、歌は残るのでしょうか。残ったとしたら、そのなかに、あのかたのいのちも、わたくしのいのちも、あるのですから、わたくしたちは、死んでも死なないということでしょうね。歌は、いのちを運ぶものです。「浮舟」(小池昌代)(p.261)