忠言耳に痛しとは言うけれど、言葉の場合、苦いからといって良薬であるとは限らない。
忠告の言葉が相手の心に響くかどうかは、その言葉が甘いか厳しいかによって決まるのではなく、そこに愛があるかどうかで決まるのだ。
どれだけ理屈が正しかったとしても、正論であったとしても、それを受け容れる側が、相手に一片でも親愛以外の要素を感じれば、無意識に心を閉ざしてしまう。
それほどに微妙な機微が必要になるわけだから、文章では尚のこと、厳しい言葉を使って相手の心に本当に届くことは、お互いの間によほどの信頼関係が築かれていない限りは、まず無い。
だから、書き言葉には特に慎重にならなければいけない。その細心の配慮が出来ないうちは、言葉で人に忠告をしようなどということを考えてはいけないのだと思う。