アガサ・クリスティー「春にして君を離れ」

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一見ミステリーではない極上のミステリー

この物語には2つの回答が用意されている。
一つは、今からでも人生は変えられる、という回答。
もう一つは、いや、今さら人生は変えられない、という回答。

60年以上も前に書かれたとは思えない、とてもとても現代的に思える作品だ。時代を経てもまったく古さを感じないというのは、そのテーマがあらゆる国や年代を超えて普遍的なものだからだろう。

主人公のジョーンは、中年にさしかかったイギリスの主婦だ。独善的で、理想主義的ではあるけれど、悪い人ではない。ただ、自分を客観的に見る能力が極端に低い人物であるというだけだ。よかれと思って周りの人にあれこれとする指図やアドバイスが、ことごとくピントがあっていない。こういう母親は、現代の日本においても決して珍しくないし、あちらこちらで見かけるキャラクターであると思う。

その一方で、夫のロドニーのほうは、ジョーンよりもずっと客観的に周りの状況を把握してはいるけれども、だからといってその状況を前向きに改善していこうという勇気や行動力を持ち合わせているわけではない。そういう人こそが、一番始末におえない気がする。そして、こういう人物も、決して珍しくない存在だ。

ジョーン以外のすべての家族や、周りにいる人々は、彼女について本人以上によくわかっている。その、本人だけが気づいていないという状況は、不幸せなことにも思えるし、この上なく幸せなことのようにも思える。
どんな出来事でも、見る人の解釈によって良くも悪くもとれる。それならば、常に良いほうに勘違いするジョーンの生き方というのは、とても賢明な処世術なのかもしれない。

【名言】

「ロドニーは答えた。何もありゃしない、ただ、何か事をする前にすべてを綿密に計算し、けっして冒険をしない、慎重きわまる世間というものにつくづく嫌気がさしただけだ。」(p.155)

「しかしね、結局はトニー自身の人生なんだよ、我々の人生じゃなく。我々のそれは、よかれ悪しかれ、すでにもう終わってしまったようなものさ、行動面に関する限り。」(p.214)

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