イワン・デニーソヴィチの一日

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イワン・デニーソヴィチの一日(ソルジェニーツィン/新潮社)

ソ連の、スターリン暗黒時代の強制収容所の一日を、一人の男の視点から描いた自伝的小説。この、ソルジェニーツィンという著者は、ただスターリンを批判する言葉を手紙に書いたというだけで10年もの苦役を強いられる国で、命の危険を冒してまでも、自分の主張を小説として発表した。
ロシアの収容所の記録といえば、ドストエフスキーの「死の家の記録」と同じテーマではあるけれども、この2つの作品はその視点が大きく違う。
「死の家の記録」では、収容所内の囚人の人間観察に非常に重点が置かれていたのに対して、この「イワン・デニーソヴィチの一日」は、徹底して収容所内の生活そのものを描くことに専念していて、人物についての描写はほとんどない。
特に、収容所で出される、野菜汁を中心にした食事については何度も何度も描写されていて、この著者がいかに食べ物について強い関心を持っていたかがよくわかる。その次に取り上げられる話題は、寒さのことや病気のことで、彼はひたすら、生存に関わる現実的なことを考えていたのだと思う。
ドストエフスキーが、非常に禁欲的に、生きることそのものにあまり執着をしない描き方をしていたのと対照的に、ソルジェニーツィンは、収容所の一日の生活を記録することで、リアルに塀の内側の様子を描いている。
その語り口は淡々としていて、読みながら、自分がもしこの環境にいたらと思うだけで絶望してしまいそうな話しだった。ソ連の収容所という環境が、生きのびるにあたっていかに過酷な場であるかということがよく伝わってくる小説だった。
【名言】
囚人にとっては、ラーゲルの門をくぐって、この夕べの点呼を受けるときほど、一日のうちで飢え、凍え、弱りはてているときはない。今の彼には、ただ熱いばかりでろくな実もはいっていない野菜汁の一杯が、それこそ干天の慈雨にもひとしいのだ。彼はそれを一息に平らげてしまう。この野菜汁の一杯こそ、今の彼には、自由そのものよりも、これまでの生涯よりも、いや、これからの人生よりも、はるかに貴重なのだ。(p.190)