フェルメール全点踏破の旅(朽木ゆり子/集英社)
フェルメールの絵は、世界中でわずか三十数点しか現存していない。
この、寡作さゆえに成立した、「フェルメールの絵を全点見てまわる」ことをテーマにした旅の記録。年代順にフェルメールの絵を解説するのではなく、フェルメールが展示されている国ごとに分けて、その所蔵美術館や、絵の来歴を踏まえて解説しているというのは、とても面白い。この旅行記を参考に、実際に全点踏破の旅に出かける人もいることだろうと思う。
この本のいいところは、フェルメールの全作品が掲載されているので、安価ながら、画集としての見方も出来るということだ。小さくて軽い割りに、印刷の質は悪くなく、色もキレイだし、絵の細かい部分までよくわかる。
画集といえば、重くて高くて印刷が粗かったりするものも多いなか、このコストパフォーマンスの高さは、かなりの価値があると思う。
この本で見た中で、特に好きだと思った絵は、「絵画芸術」「デルフト眺望」の2点だった。
【名言】
フェルメールの絵の大部分は宗教画ではない。この事実は私にとって、またおそらく大部分の日本人にとって、フェルメールの絵を近づきやすいものにしている大きな要因だろう。手紙を読んだり、人と話したりという、室内での日常的な風景を描いた彼の絵の世界は、私たちが現在暮らしている世界とあまり離れていないように感じられ、親近感と同時に時間的なギャップを超えた普遍的な美を感じ取ることができる。(p.14)
学芸員のヒルタイさんはこんなふうにいう。
「こうやって見てくると、フェルメールは他の17世紀の画家と共通点もあるけれど、やはり別格だと思うのですね。彼は絵の構成もうまいし、技法もずば抜けているといわれますが、技法ということならヘーラルト・ダウなどもすばらしいと思うのです。そして、テル・ボルフもハーブリエル・メッツーも物語を描かせたら非常にうまい。しかしフェルメールにはそれとはまったく異質の側面があるのです。あえて言葉にするなら、それはある種のスピリチュアリティのようなもの、とでもいえるでしょうか」(p.146)
不思議なのは、最盛期には非常にシンプルで寓意に頼らない絵を描いていた(と少なくとも私には思える)フェルメールが、なぜこのようなあれやこれや意味を解釈させるような絵を描くようになったのか、ということだ。(p.172)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記