現代思想のパフォーマンス(難波江和英・内田樹/光文社)
ソシュール、ロラン・バルト、フーコー、レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、エドワード・サイード、という6人の思想を簡潔にまとめた本。
それぞれの人物について、「案内編」「解説編」「実践編」にわかれていて、「解説編」の解説はあまりわかりやすくないものの、「実践編」では、映画や文学作品を例としてとりあげて、それを、構造主義ではどのように解釈するか、という説明があり、これがとても面白い。
「エイリアン」や「不思議の国のアリス」など、解釈の仕様によっては、そんなに深い意味があったのか、と感心する内容ばかりだった。
【名言】
我々は味の違いを舌の部位で区別している。しかし、舌の部位による味の違いをはっきり知りたいと思えば、甘味、苦味、塩味、酸味といった「言分け」に頼るしかない。つまり、我々の舌による味の区分は、記号としてのコトバの区分けによって限界づけられている。
もしかすれば、日本人には、甘味、苦味、塩味、酸味といった区分以外にも、ほかにも味覚はあるかもしれない。しかし、味覚についての日本語の「言分け」に限りがあるので、それ以外の味の区分は、たとえあったとしても、無いに等しい。(p.33)
世界中の多くの社会で、「母方の伯叔父」は男の子にとって親族中で特殊な地位を占めている。この伯叔父たちは父親に代わって厳しい教育を施したり、父親とは決して持てないような種類の親しい交わりを取り結んだりする。(p.236)
バルトとレヴィ=ストロースとラカンが「だいたい同じこと」を言っているというと驚く方がおられるかもしれないが、これは本当である。『アンナ・カレーニナ』の有名な一節を借りて言えば、「愚かしさの様態には限りがないが、賢さはどれも似ている」のである。
本書に取り上げた思想家たちはいずれも希代の賢者たちである。彼らが「人間とは何か」と問うとき、その答えが似てくるのは当たり前であると私は思う。(p.424)