現代語訳 古事記(福永武彦/河出書房)
現代語訳ということで、ものすごく読みやすくなっている古事記。
読みやすくなってはいるものの、意味としては何を言っているのかわからないところは多い。
神話というのは大体そういうものかもしれないけれど、神々たちのやることのムチャさはもう、人間の常識とか理解を超えたものがある。特に、日本の神話の場合、ギリシア神話の神以上に「おいおい」と思うような不埒な言動が多い。
美人だけを極度に好んで、そうでない場合にはとことん関心がないというわかりやすさもスゴいし、身内を簡単に裏切ったり、寝首を掻いたり、「人間らしい」と言ってしまえばそう言えるかも知れないけれど、あちこち、結構ヒドい。
その、乱心しているとしか思えない数々の狼藉は、人間だったら確実に実刑をくらう(法治国家じゃない場合は村人に殺される)ような派手な内容ばかりで、度肝をぬかれた。
この現代語訳は、上中下巻が一冊の中に入っていて、そのすべてがコンパクトにまとまっているという読みやすさがある。
だんだんと、先に進むに従って、神話的な内容から歴史的な内容へと変わっていって、後半は、日本各地の地名の由来となっているような出来事が物語として語られていて、それはとても面白かった。慣れ親しんだ地名が、実は大昔の神話的出来事に起源があるというのは、なんだか新鮮な驚きだ。
【名言】
アメノウズメノ命(ミコト)は、サルタビコノ神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いものも鰭の狭いものもすっかり集めて、こう尋ねた。
「お前たちは、天神の御子にお仕えしますか?」
その時、魚どもはいっせいに答えた。
「みなみな、お仕えいたしましょう。」
ところが海鼠(なまこ)だけは、返事をしなかった。そこでアメノウズメノ命が海鼠に言うには、
「この口は、答のできない口なんですか?」
こう言って、紐のついた小刀でその口を割いてしまった。それゆえ、今でも海鼠の口は割けている。(p.136)
「私が娘二人を、一緒にさしあげたというのも、イハナガ姫のほうはその名前の示すとおりに、天神の代々の御子のお命は、雨が降り風が吹こうとも、びくともしない岩のように、とことわに揺るがずましますようにと、またコノハナサクヤ姫のほうは、その名前が示しますとおりに、桜の花の咲き匂うように栄えますようにと、このようにうけいの誓いを立てて、さしあげたものでございます。それにもかかわらず、今、イハナガ姫をお返しになり、コノハナサクヤ姫のほうのみをお留めになったのですから、天神の御子のお命といえども、花の散るように、脆くはかないものとなりましょう。」
このように言い送った。
こういうわけで、今にいたるまで、代々の天皇の命は長くないのである。(p.140)