生きさせろ!(雨宮処凛)


生きさせろ!(雨宮処凛/太田出版)

ワーキングプアと呼ばれる環境について、細かな取材をもとに書かれた、ドキュメンタリー調の内容。
労働者をアジテートするような、扇動的な文章や表現がやたらと多いので、その点でかえって興醒めしてしまうところもあるのだけれど、それを除いて考えても、今の労働環境の過酷さはよく伝わってくる。
派遣や請負という勤務形態で働く労働者は、企業にとってはかなり便利な存在だけれど、当人にとっては何の保証も権利も与えられない、使い捨て労働力になってしまっている。
では、正社員なら、派遣や請負で仕事をしている人よりもマシかというと、それが全然そうでもない場合もある。
Y電器やニコンをモデルケースとして解説した、過労死に至るまでの経過を読むと、残業代もつかないまま長時間働かされ続けるという、正社員には正社員なりの過酷な状況があるということがわかる。
「自己責任だろう」とか「そんなにツラかったら辞めればいいだろう」という意見もあるだろうけれど、こんなヒドいところで働いてたら、それもムリだろう、と思う。
劣悪な就労環境におかれると、身体とあわせて精神にも失調をおこすようになる。新興宗教の洗脳と一緒で、まず判断力が低下させられているから、状況を改善しようというような心の余裕も、時間の余裕も与えられることはない。
この本を読んで思うのは、「知らない」ということは、信じられないほどの不公平な状況に追いやられたとしても、そうとは知らずに、それに抗うことも出来ない可能性が高い、ということだった。
この、「知らない」人をとことんまで利用して甘い汁を吸いつくす、人材派遣会社というシステムが持つズル賢さは、童話に出てくるキツネなんか目じゃない。どんな時代にも、構造の歪みを巧妙に利用して儲ける人がいる。その仕組みに乗せられないようにするには、やはり「知る」ことしかないのだと思った。
【名言】
闘いのテーマは、ただたんに「生存」である。生きさせろ、ということである。生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。人を馬鹿にした働かせ方をするな。俺は人間だ。
スローガンはたったこれだけだ。生存権を21世紀になってから求めなくてはいけないなんてあまりにも絶望的だが、だからこそ、この闘いは可能性に満ちている。「生きさせろ!」という言葉ほどに強い言葉を、私はほかに知らないからだ。(p.10)
本当に、こうして書いてみると不安定な立場で働く若者たちは、企業にとってはあまりにもおいしすぎる存在ではないか。低賃金で社会保険料までむしりとれるうえ、県から助成金をひっぱる道具にもなるのだ。(p.50)
貧乏やっちゃうと、安くても働きたいと思う。たとえば、今日はお茶漬けしか食えなかった。明日は牛丼食いたい。だったら本来だったら1000円もらわないと割が合わない仕事でも、700円、800円でやりますって。そういうのを社会がすごく利用している。(p.133)
3月7日、母親は、昨日が自分の誕生日だったので「昨日50歳になったよー」と勇士さんの留守電に入れた。しかし、相変わらず勇士さんからの連絡はない。心配になった母親は3月10日、ネクスターに連絡。その日、アパートを訪れたネクスターの社員によって、首を吊って亡くなっている勇士さんが発見された。
部屋のホワイトボードには「無駄な時間を過ごした」と書かれていた。死亡推定日時は、3月5日とされた。母親が誕生日を知らせる留守電を入れたときには、すでに勇士さんは息絶えていたことになる。(p.166)
子どもが亡くなったときには、『ああ、もう怖いものはなくなった』と思いました。自分より先に子どもが、しかもあんなふうに腐敗した姿で亡くなっていると、それ以上怖くてつらいことは考えられなくなりました。しばらくは、人の笑い声を聞くと腹が立ちました。何がそんなに嬉しいのよと腹を立てながら、大粒の涙がぼろぼろ出てきて本当に困りました。夕方、買い物とかに行きますよね。夕方って人の顔がはっきりわからないのでシルエットが浮かぶ。そうすると、23歳の骨格がわかるんです。なぜかわかる。そうなるといつまでもそのシルエットの人物を目で追ってしまうので、苦しくなってくる。これは一生続くことなんです。(p.182)
ILO(国際労働機関)は間接雇用を禁止していますが、労務供給というのは、むかしはヤクザの仕事でもあったわけです。(p.242)