生命記号論


生命記号論(ジェスパーホフマイヤー/青土社)

生命の成り立ちと意味ということについて、ものすごく幅広い範囲で論じている本なのだけれど、関係するテーマがあまりに多すぎて、結局何が言いたいのかということはよくわからない感じになってしまっている。
共通するテーマとしては、いずれも、「生命というものを定義するものは一体何なのか?」という問いに関連する内容になっていて、その点、「生物と無生物のあいだ」にちょっと似た雰囲気がある。
全体として一つの結論や、起承転結の流れがあるわけではなく、ほぼ各章ごとにそれぞれ独立した内容になっているので、生物学に関連する色々な学問の辺縁を、少しずつ拾い読みしながらさまよい歩いているような気分になる。
話しはどれもとても面白くて、それぞれの分野単体ではさほどの面白味がないことも、生命の仕組みということに関連させて解説されることで、そこに意味が生まれて、興味深い物語になっていく。読み物として、とても充実した内容の本だった。
【名言】
あるレベルで自由が欠如したとき、そのレベルでの宇宙はある範囲で予測可能となることが分かる。つまり、特定の法則なり習慣がしっかりと確立されると、実際の予測能力を発展させることが可能となる。この能力こそがすべての生命体をそれ以外のものから区別する特徴である。何ひとつ予測できない世界では、生命は失業してしまう。そして生命体の遺伝物質の中に仕舞い込まれ、代々伝えられてきた経験という富は、将来に対して合理的な期待をもたらすとする可能性なしでは全く使い道がない。(p.55)
ある意味で、人体も基本的には、何百兆というバクテリアで構成された内部共生のシステムである。この世界では真に個体と呼べるのは小さなバクテリアだけであり、他の生物は全て単にバクテリアの組み合わせによって構成されているとも言える。(p.60)
チンパンジーは、他の個体が自分と同じ精神状態にあることを受け入れる能力を持っていないようだ。本当に驚くべきことは、チンパンジーに共感の能力がないことではなく、私たち人間が共感する能力を持っているという事実だ。(p.92)
私たち人間は言語以外の音の認識は非常にゆっくりで、せいぜい一秒間に9つの音を識別するのがやっとである、とすることが発見された。しかしそれが会話音声であれば、通常の会話の場合、一秒間に15から25音という速度であっても正確に音と音を聞き分けることができる。
パ行とバ行の音はどちらも閉じた唇を離すときの音で始まる。これにより短く鋭い破裂音が作られる。この破裂音の後に25ミリ秒以内で声帯の振動音が聞こえた場合には「バ行」の音に聞こえる。逆に25ミリ秒以上経ってから声帯の音が続く場合は「パ行」の音に聞こえる。しかし私たちは音の像の信じられないほどの詳細な違いを電光の速度で聞き分ける。(p.127)
細胞死が胚発生の間に起きるときには、それは通常、形成のプロセスだと見なされる。より発生が進んだ脊椎動物では、手や足の指が形成されるとき、指の間の細胞が組織的に排除される。そう考えると、手に五本の指があるというより、四つの隙間があるという方が発生学的には正しい。(p.136)
一歳二ヶ月頃から、人間の赤ちゃんは自分の欲しいものを指差すことができるようになってくる。私たち人間にとっては、この指差す動作の意味することは極めて明白に分かるけれども、実際にはこれはずば抜けて複雑な知的作業を要するのだ。子供は指さすことができるようになる直前の時期に、母親が目を留めている室内の場所に視線を向けるという、一見単純に見えるが実は複雑な技量を身につける。これを行うためには、母親の視線の進路、物理学用語でいうところのベクトルを、読み取らなければならない。それだけでなく、次には子供は母親の注意が向いている特定の対象物を理解しなければならない。このことから示されるのは、「母親の視線の背景となる意図を認識する能力」が前提として必要であり、指差し行動は単なる空間的な方向づけの技量ではないということだ。(p.168)
どの生体であれ認識能力を高めることにおいて最も重要な技量は、時空連続体に穴を作ること、すなわちカテゴリーに分ける技量である。(p.185)
1914年のサラエボでの一発の銃弾は、記号としてみるとそれ自体にはほとんど内容がなく、その意味で物を言わないものであったが、それによって途方もなく大きなできごとを引き起こすに至った。これと同様のレセプターが同時にその空腹を満たすと、閾値を越えることになる。そして、このレセプターが既に準備の整った神経細胞表面のものなら、その閾値を越える刺激が思考の群れを起動するシグナルとして解釈されることになるだろう。これらの全ては記号そのものではなく、それを解釈する身体の「知性」によって進められる。(p.200)